今ここを生きられない。
そんな感覚がある。
時代の流れや変化の兆し、マクロで見る世界の様相など、そういうものには敏感なんだけど、いつもどこか空を眺めているような、実体のないふわふわしたところにいるような気分がある。
いつも答えに困る質問がある。
「これをしてどう変わった?」「この1年でどう変わった?」
変わっていくことは自然なことだという感覚があるからなのか、いつも先のことばかり考えているからなのか、わたしはなぜか、自分の変化に気づくことができない。
「いつもいろんなことをどんどん進めているよね」と言われるけど、そう言われても実感がない。
「ベルーガのエッセンスはすごいよ!」と言われ、ウキウキで買ったのに、使い切ってもその変化が全然わからない。
感じられないのか、わたしには違ったのか、もともと同じエネルギーだったのか・・・
ちょっとよくわからない。
変化が感じられないとしたら結構重症だな、と思う。
今ここを生きられないという感覚は、昔からあった。
どこか自分だけ違う世界にいるような、なんだか慣れない、ポツンと独りぼっちのような、存在しているけどどこにも所属していないような、そんな感覚。
昨日引いたカードにグラウンディングのメッセージがあったので、夕方からまた玉川上水に散歩に行った。
わたしにとってのグラウンディングは、土や木がある自然とつながることだと思って。
とはいえ、前にも書いたようにケヤキの木がスポーーーンと切られているのが辛くてあまり集中できないんだけど。
枝が生い茂っている方が日陰にもなるし気温も下がるしマイナスイオン効果が高いはずなのに、何のために切るのかわからないし、それならもっと藪の中をどうにかしたほうがいいんじゃないかとか思うけど。
でも専門家じゃないからわからない。
答えがわからなくてモヤモヤする。
紫陽花の花を撮影していたら蚊におでこを刺された。
これからの季節は日焼け止めやら虫除けやら必要になる。
今回も往復10キロ歩いたけど、グラウンディングできてるんだか。
それでも運動と気晴らしにはなっているかな。
先日、またアマゾンプライムで見かけ、久しぶりにキャストアウェイを観た。
と言っても、大体のストーリーは覚えているからスキップしながら観たんだけど。
この映画、意外と観ている人が少なくて、ウィルソンの話が通じなくて残念なんだけど、やっぱり今回もウィルソンのところで泣いてしまった。
あれはなんなんでしょう。
いろんな部分が印象に残ったけど、今回はなんだか「とりあえず生きる」ということの重みが一番残った。
一日一日を生きる。
その一日を生きる心の支えだったり、仲間だったり、手段だったり、自分が持っているもの、自分の周りにあるものを駆使して、生きる。
あそこまで究極じゃなくても、そういうことなんだろうな、と思う。
いまを生きる。
一つ一つ、一歩一歩、生きる。