自分が見ている自分自身と、他の人から見た自分の姿がかけ離れているように感じる。
みんなはわたしの良い面しか見てないからなんだな、と思う反面、そう言いつつも実際は何も得られていないわたしのことを本当の意味で評価なんかしてないんじゃないかとか、疑ってみたり。
わたしがどこかで感じている無力感とか、無価値感とか、劣等感とか、そういうものはスルーして、表面的に見えているプラスの部分を無難に取り上げているだけなんじゃないか。
そう思うと結局少しも理解されていないような気分になる。
ここ最近、根本的な部分が大きく揺らいでしまった。
それは自分が信頼してきた「直感」の部分で、自分が感じてきたものが「偽り」かもしれないという疑惑を投げかけられたことがきっかけだ。
そこからずっと葛藤している。
直感は騙せない。
本能的に感じる部分は変えられない。
それを否定されたら、存在自体を否定されるのに等しい。
わたしという人格が、人間が、否定されたようなものだ。
「否定」ということ。
わたしは否定されるのがものすごく苦手だ。
1のエネルギーで否定されると、10ぐらいの否定エネルギーを集めてしまう。
否定をスルーする力も、肯定に変える力も、持ち合わせていない。
だから限界まで否定エネルギーを溜め込んでしまう。
だけどやっぱり直感は騙せない。
否定に否定を重ねても、心の奥のほうがNOを叫んでる。
違う、そうじゃない。
昨日、Twitterで「反骨精神」という言葉を見た。
コムデギャルソンの川久保玲さんの記事から。
「逆らうエネルギー」に何かがあるとしたら。
わたしは「否定」を否定したい。
逆らうことで否定を表明する。
誰かを攻撃したり責め立てたり追い詰めたりすることなく、自分の生き様や表現力でNOを表明する。
違う、そうじゃない。
誰も生き様を否定することはできない。
どんな生き様にも、その人なりの背景や精神が詰まっている。
大事なのは生き様なんだと、川久保玲さんが教えてくれた。
他人からの評価ではなく。
ステータスでも所有物でもなく。