この放送、1時間半経ったところで脱落したんだけど、その後も随分と引き摺っている。
自分の考えをTwitterの小さな枠の中に収めることはできないから、ここに書こうと思っていたけど、上手くまとまるんだか。
選択的夫婦別姓に関して、当事者であり推進活動をしている人(井田奈穂さん)と、「慎重派」(「反対派」とは言わないらしい)の人(浜崎洋介さん)が対談をするという、今回の企画。
今回、「保守」という人たちの考え方というのがよく見えたことは、収穫なのかもしれない。
そういう気づきが大事なのかもしれない。
「理解」はできなくても「認識」はできたというか。
井田さんも言っていたけど、選択的夫婦別姓については、別にリベラルとして推進しているわけではなくて、実際に困っている人がいるからなんだけど、浜崎さんは推進派をある意味「リベラル」と捉えていて、選択的夫婦別姓が認められたら「推進派の意識高い系」が「慎重派の意識低い系」を糾弾して分断が生まれる、と言っていて、結構びっくりした。
リベラルが意識高い系で保守が意識低い系だなんて、考えたこともなかったけど、そんな風に見えていたんだ。
それって、「変革」とか「改革」に対する恐怖なんだろうな。
だからこそ「保守」の立場をとるというか。
自分たちが「慣習」として空気のように享受してきたものが、変えられてしまうということ、それが怖い。
話を聞きながら、ジェンダー問題と共通しているな、と何度も思ったんだけど、一度下駄を履かされたら、脱ぎたくなくなるんだろうな。
不平等に下駄を履かせるのはもうやめるので脱いでください、と今更言われても困る、みたいな。
自分は下駄を履いた世界しか見てこなかったし、その世界しか知らないのに、突然それを奪われるほうのことも考えてよ、的な。
まぁ、もちろん知らないうちに履かされていたのかもしれないけど、それでも少しでも「履かされているかもしれない」と思わなかったんだろうか、今までの人生の中で一度も。
それに対しての違和感を持たなかったんだろうか。
女性の立場から言わせてもらえば、何度もわたしたちはその下駄で踏みつけられてきたし、ハードルを上げられてきたし、機会を奪われ、控え目であることや従順さを押し付けられ、必死で勉強して取った点数をこっそりマイナスされてきたし、そうやって翼を折られてきた。
そして「女性の割合が低いのは実力がないからだ」みたいな言葉を投げられてきた。
男性が今まで意識しなくてもなんの問題もなかったのは、そういう社会構造が大きく関係している。
夫婦別姓が認められなくて困っている人の問題解決を図ると「社会を変えてしまう」から危惧する、って、なんなんだろう?と思った。
しかも、「選択的」なのに?と。
その理由は、「意識高い系」の推進派に「意識低い系」の保守派が攻撃されるという懸念に表われていた。
長年当たり前として通っていた「結婚したら(主に女性が改姓して)同姓になるもの」という常識が崩れてしまったら、それが当然と思っている自分は「意識低い」ことになってしまう。
今まではそれが「当然」であったから考える必要もなければ責められる可能性もほとんどなかったのに、法律で認められたら、その問題と向き合わなければいけなくなる。
だからいくら「いや、選択制なんだから困っている当事者が改善するだけで、同姓を希望する人は何も変わらないんですよ」と言われても、いや、風潮が変わったら自分の立ち位置が変わっちゃうんだよ、と危惧している。
実例として紹介されていたコメントの中に、「もし長年連れ添った妻が別姓にしたいと言い出したらショックで離婚する」というのがあった。
それもびっくりだけど、その背景に何があるのか考えると、やっぱり、男性が長年向き合わなかったことに急に向き合わされるということに、ある種の怖さがあるんじゃないかと思う。
男性が改姓したケースでは、「相手の女性を説得することもできなかったのか、と嘲笑される」というものがあった。
そう、ここにも、ジェンダー問題が潜んでいる。
女性が改姓するのが当然なのに、それができないなんて男として情けない、という発想。
この放送を聞きながら、日本の社会構造問題の根深さを感じてしまった。
ていうかそもそも、夫婦同姓が布かれた当初は、女性は「嫁」に入ってしまえば全てを取り上げられ、財産相続の権利も子どもの親権もなかったっていう、かなりの人権侵害、男尊女卑だったわけで・・・
それが徐々に変えられて今に至るわけで。
あと、その部分は見ていないけどみんなの感想にあって知ったのが、「選択をしなければいけない」ということが「圧」である、という意見。
これもびっくりの発想だったけど、確かに日本人は決められたことに従う人が多いし、選択をすることに慣れてない人が多いと思う。
選択が苦痛だから決めてほしい、という。
強制的にされたほうが、楽??
そういうのも、この日本の廃退具合とつながってるんじゃないかと思う。
主体性の無さというか、進歩の無さというか、気概のなさというか・・・
あと、無責任さ?
「誰も選べないから」と言って選挙にも行かない。
そして「自分は選んでないから関係ない」と言う。
少し論点は変わるけど、井田さんが用意していた資料はいろいろ実例や数字を示して見せるためのものだから、確かにちょっと強めの口調にはなっているけど、それに対して「そういう調査の数字は信用しない」と言い切ってしまうのもどうかと思った。
確かにアンケートとか調査系って、ある程度用意された結論を導くためのツールとして使われているというのは聞いたことがあるけど、だからってまるっきり無視はできないと思う。
全面的に信用する必要もないけど、なんらかの傾向はあるわけで。
それでいうと、わたしは以前は世論調査に対してちょっと懐疑的なところがあって、その理由は「わたしは聞かれたことがない」というものだったんだけど、今回の都民選挙の前は3回も受けて、投票所では出口調査も受けて、急に当事者になった気がしたんだけど、最近は世論調査も電話をかける時間や曜日なども調整しているのかな、という印象を受けた。
だからただの印象操作だとは思っていないし、ある程度は反映していると思う。
まぁ、質問項目には「ん?」というのもあるけれど。
ちなみにその井田さんの調査の数字では、選択的夫婦別姓には女性のほうが賛成が多く(そりゃそうだ)、若い人ほど多かった。
特に男性では若い人には賛成が多くて、その数字を見ながら、そこに希望を持つしかないな・・・と思ったんだけど。
保守の男性に今更変わることを期待するのは、どうやら本気で無理があるらしいと今回つくづく思った。
いや、うすうす知っていたけど。
そういう人がいることを認識しつつ、そういう人もいるこの日本社会の中で、何をどう考えて行動していくのか、この混沌とした状況の中を生きる若い人たちに、どういう選択肢を示していけるのか、自分ができることをしたいと思った。
それで言うと、ポリタスTVのこの放送が神回だったので、ぜひ見てほしい。
https://www.youtube.com/watch?v=e8MoQkJoHN0
話の元になっているのは五輪の話なんだけど、みなさんの言葉が深くて聴きごたえがあるというか。
本当に、社会を変えていくのは、そして支えていくのは「反日」でも「愛国」でもなく、「憂国」だと思った。
現状に疑問を持ち、違和感を持ち、それを放置せず、考えて行動する。
そういう、めんどくさくて地道で疲れる作業を積み上げていくこと。
それがずっと長い先の未来を創っていく。