誰かに少しだけ勇気と希望を与えられるマイノリティでありたい

気づいたらもう師走、今年も終わっちゃう。

今日美容院に行ったら、「よいお年を」とか言われちゃった。

 

感染者数が激減したと思っていたら、また変異株出現、不透明な年の瀬に。

もうそろそろ、対処可能な案件にならないものか。

 

緩和措置が発表されて動いていた矢先の外国人留学生たちは、また入国禁止となり、失望しかない。

受け入れ機関にすべての責任を負わせて厳格に管理される外国人留学生とは対照的に、「自宅等待機」で動き回っても許される日本人。

どう考えても感染拡大の危険因子は外国人留学生じゃなくて「監視をすり抜けている奴ら」なのに、ちょっと何かあるたびに外国人だけ入国禁止にする日本は、ある意味「特権を持った人しか守らない」を地でいく徹底したご都合主義の国なのかもしれない。

関係者を入国させても「問題ない」と主張したオリンピックのときの寛大な措置はどこへ行ったんだ??

 

こんなクソ閉鎖的なヘルジャパンなのに、それでも日本で学びたいという意欲を持っている学生を見ていると、本当に申し訳ない気持ちになる反面、ワクチンの接種率もマスクの着用率も驚異的に高い国民性が、もしかしたらそういう外国人たちに興味を持たせている理由なのかもしれないと思ったりもする。

 

あまりにも従順な日本人たち。

どれだけ政府がアホでもアンポンタンでも、「わきまえて」行動をする国民。

危険因子はできるだけ回避し、人に迷惑をかけないように心がけ、不条理や理不尽があっても批判もせず、組織の安定のために決められたことを守る。

そんなマジョリティが社会を形成している国。

 

東京に出てきてから、とにかく自分の生計を立てることに必死で、二の次になっていたけど。

やっぱり、そんな社会を変えていくには、できるだけ多くの子供や若者に「考える力」の大切さを伝えていくしかないんだなと、20年ほど前に「先生」になることを受け入れたときの気持ちに結局戻ってくるんだなと、そう思う。

 

わたしは英語が好きだから英語を教えるけれど。

そこで伝えているのは、単に英語を理解することではなく、知識や情報をつなぎ合わせて考えること、想像しながら物事を把握すること、自分の感性を大事にしながら表現をすることであり、それによって「豊か」になることだ。

 

 

同じ係の担当に送られてきた、ドイツの交換留学生からのメールを読んだんだけど。

日本の入国状況に対する懸念を綴っていたんだけど、その文章が素晴らしくて、本当に感心した。

長文のかなりの大作だったんだけど、もうメールというよりエッセイのようで、論理的且つ情緒的に、読み手に不快感を与えることなく懸念を表していて、こんな文章が書ける素晴らしい人材をただ外国人であるということで拒否している現状が、ただただ申し訳ない限りだった。

母国語ではない英語であれだけの文章を書けるのは、人格とも結びついているとは思うけれど、そういう才能を育てるということも社会として大事なことだと思う。

 

比較の問題でもないかもしれないけど、同じ敗戦国として日本はドイツより遅れをとっているなと思うことが多い。

優秀な人に国籍は関係ない、とは思う。

だけど、そういう「考え方」や「表現力」というのは育てるものでもあると思うから、少しでも自分ができるようになれたらいいなと思う。

 

 

マイノリティにとってはヘルなジャパンだけど、太陽の光を反射し、暗い夜道では月明かりのように照らすような、誰かに少しだけ勇気と希望を与えられるマイノリティでありたいと思う。

 

f:id:rock_azure:20211204202626j:image