少し前に書いたレスキューの話。
大勢いる中の個体が傷つき、生命の危機にあるということ。
その一つ一つを、地道に、地味に、救うということ。
見捨てないということ。
大勢の中の一つの個体であっても、見つけて助ける。
それだよなぁ、と思う。
救われた個体たちは、海に戻って生命を続ける。
いつか果てる命であっても、諦めずに身に危険を及ぼしているものから助けるということは、何を意味しているのだろうと思う。
そして助けられたその個体の命や魂は、何を得るのだろうと思う。
日本人固有なのかどうかわからないけど、「恩返し」的なことを考えてしまう。
昔から存在している話。
鶴の恩返しだけじゃなくて、浦島太郎もそうだし、ごんぎつねだって、はたまた蜘蛛の糸の蜘蛛でさえ、恩返しをしようとする。
実際のアザラシのレスキュー動画を見ていても、一目散に離れていく個体もいるけど、人間に対してあまり恐怖心を見せない個体や、しばらく人間に寄ってくる個体さえいる。
そういうのを見ていると、やっぱり生命には魂が宿っていて、何かの感覚が残ったりしていて、それがどこかのタイミングで届けられることがあるんじゃないかと思う。
植物でさえ、愛情や優しい言葉をかけていると、よく育ったり美しい花を咲かせたりすると言われるし。
もちろん、恩返しを期待して何かをするわけじゃない。
でもどこかで、伝わっているんじゃないか、と思っている。
恩返しとかじゃなくても、「応えて」くれたらいいな、と思う。
まぁ、それがバラなら「美しく咲く」ということなんだけど。
あのアザラシたちの場合であれば、危険から解放されて、自由になって、残りの時間を過ごしてほしい、といった気持ちで助けられている。
それは、どんな形かわからないけど、達成されて、何か目に見えないものとしてこの地球上に浮遊していて、どこかでふと届けられたりするんじゃないか、と、わたしは思っている。
そういう壮大なサイクルが、この地球で、そしてこの宇宙で繰り広げられていて、私たちはその中に存在している。
先日のザトウクジラの座礁について言えば、あの歓声は、ああしてレスキューをした人にしか出せないものだと思う。
それで思ったけど。
助けてる人って、その行為によって自分も助けられているんだよね。
だからなんだろうな。
それをせずにはいられない。
アザラシに感謝されなくても、恩返しされなくても。
全力で抵抗されて、一目散に逃げていっても。
救うことでしか救われないものがある。