いじめの報道から

いろいろと思うところがあるのですが。
一言では言えませんよね、この問題。
ただ、これは当事者云々の問題ではなく、社会全体の問題であるということ。
子供の世界は大人社会の縮図。


だれだって、おぎゃーと生まれてきたときに悪意を持っていたはずはない。
産まれたての赤ん坊が、濁った目でちらりとこっちを見て、フンなんて鼻で笑ったりしない。
生まれたときは、真っ白なんです。
それが、成長していく過程で、いろんなものの影響を受けて、人格を形成していく。
その過程で影響を与えているのは、大人なんです。


この報道を読みながら(テレビはないので見ていません)、思ったのは、加害者の行為がものすごく屈折しているということ。
やっていることが、あまりにも。
そこから感じたことは、なんだかいじめによって鬱憤を晴らしているようだということ。
こういう場合にいつも思うのは、その親は一体どんな人なんだろう?ということなんだけど、可能性として私が考えるのは2パターンで、1つは愛情を全く注がないパターンで、もう1つは親のエゴを押し付けるパターン。
でも、どちらも共通しているのは、やっぱり愛情。
押し付けパターンにしても、与えているのはエゴであって愛情ではない。


昨日あるところから聞いた情報によると、主犯格の母親が元PTA会長で、「自分の子供は悪くない」というビラを配ったらしい、とのこと。
ああ、そっちか、と思った。
押し付けパターン。
時々ありますよね、教育者の子供だとか、親があまりにも子供に「いい子」を強要したために、捻じ曲がってしまうパターン。
その子は、加害者になってしまった犠牲者でもある。
しかも、その上、この期に及んでも「うちの子は悪くない」なんて言われちゃったら、自分のしたことを受け止めて反省して更生するチャンスさえ、失ってしまう。
これ以上、子供を追い詰めるのはやめてください、母親よ。


民事訴訟になっているので、罪を認めるとか認めないとか、大人の事情が絡んできて、純粋にその子供たちの更生につながるのかどうか、難しいところかもしれませんが、被害者はもちろん、加害者の心情もきちんと周りが理解して、今後の方向性として何かを学んでいければいいと思います。


報道されていることが全てではないかもしれない。
ただ、どこかに事実は必ずある。
男の子が亡くなってしまったこと、その原因と考えられるいじめを目撃したこと、金銭問題。
何か大きなことが起こったときに、「うやむや」にしてしまうのは一番いけないと思う。
そして、「うやむや」にしないためにも、「罪を憎んで人を憎まず」じゃないけど、そうなった原因や何かの影響など、総合的に判断する冷静な精神を鍛えてほしいと思う。
それはやっぱり、「他人事」ではなく、自分のこととして受け止めることから始まるんじゃないかな。
自分がその場にいたら、どうすればいいか。
そういう指針を持っていなければ、ただわーわー言っているだけでは何も解決しない。


どちらにしても、死を選んでしまうのは悲しい。
それだって解決じゃないんだから。
これは何となく私が感じることですが、その自殺してしまった男の子は、なんだか加害者に対しての「これでいいだろ?」という、なんというか、仕返しのような気持ちが混じっているような気がします。
投げやりになっちゃったんでしょうか?
そんなの、自分の命を捨ててまでしなくてもよかったのに。
そこまで追い詰められていたのかもしれませんし、生きることに希望を持てなかったのかもしれません。
残念ですね。


そこまで追い詰めたこと。追い詰めた側の加害者も、そこまでのことをするくらいまで追い詰められていたということ。
結局、追い詰めたのは大人だ。
それを大人は自覚しなければいけないと、私は思う。