基準が違う

最近しみじみ思うことがある。


目指すところは、人によって違う。
当たり前のようで、意外と普段は意識していない。


例えばテスト。
100点満点なら、100点を目指すんだと思っていた。
得意でも苦手でも、与えられた課題が100なら、100に近付けようと思うことが普通なんだと思っていた。


教えている生徒と話していると、そもそも100点を目指す気がさらさらないような返答が返ってきて、地味に驚いてしまう。
もしかしたら、100点が目標なのはわかっているけれど、実際取れないから目標を下げるのかも知れない。取れない100点を目指すより、現実的な数字を目指すのかも知れない。
でも、目指す数字が下がれば下がるほど、取れる点はどんどん下がるから、気持ちはやっぱり100を目指していかなきゃ、と私は思う。


今回は50点取ればいいとか、30点あれば落第しないから大丈夫とか、追試にならなければいいとか、…
それじゃあ上がらないよね、と思う。


目指している場所は、意識は、人によって違う。
そのことを考えていて、気付いた。
私はずっと、結婚について考えるとき、世間の一般論と何か基準が違うような気がしていた。
この感覚がいつからあったのかもうわからないくらい前から、私の人生のパートナーは一人しかいないと思っていた。決まった誰かがいて、その人といつかどこかで会って、その手を取って、一緒に生きていくんだと思っていた。
私にとって人生のパートナーは、選ぶものではなく、たった一人の「その人」なのだ。
だから、適齢期が来たら婚活をして、その中から(妥協して)選んで、…なんて、どんなに考えても受け入れられない。
根本的に違うのだから。


結局私は、100を目指さずにはいられない。
60点で我慢しなさい、なんて言われても無理なのだ。
昔、「理想が高いんじゃないの?」と言われて意味がわからないと思っていたけど、要はそういうことなのだ。
60点で十分、と思っている人にとっては、100点を目指している私の理想は高いのだ。


ちなみにテストの話で言うと、小学生の時に受けた私のIQは普通だったと思う。「いたって普通だな」と思った記憶がある。
だから私は、自分の頭がいいとは思っていない。
高い点や順位を目指すようになったのは中学生に入ってからだった。だから私は、いわゆる地頭よりも、意識のほうが重要だと思っている。
目指すか目指さないか。そこがポイントなのだ。


私は上を見ることが好きだ。
上を目指していたい。
私の中にある確固たる基準を、曲げる必要などない。
仕事も、生き方も、パートナーも。