ここにきて急に

rock_azure2017-07-18

もう「オバサン」でもいいんじゃないか、と思えてきた。
何スイッチなのかわからないけど。
世間の評価とか、価値基準とか、もう、どうでもいいんじゃないか?
ある人にとっては「オバサン」であっても、自分の価値基準をそこに置かなければいい。


なんだか、「オバサン」を受け入れないでいると、ものすごく窮屈になるような気がしてきた。
自分で自分の首を絞めるような。
「オバサンになるな」というのは厳しいのかもしれない。


そういえば森高千里が「わたしがオバサンになっても」と歌っていたけど、彼女はオバサンになっていない。
歳を感じさせない人だ。


「オバサン」になっても、可愛い女性として見てもらえるかなぁ。


まだ読んでないけど、ジェーン・スーの「貴様いつまで女子でいるつもりだ問題」を少し前に買った。
何歳まで「女子」なのか、という問題。


心はいつまでも「女子」である。
いつまでも「少年の心を持った人」がいるように、いつまでも「乙女の心を持った人」がいてもおかしくない。


「オバサン」の定義は相変わらずわからないけど、仮に「オバサン」の括りに入れられたとしても、心は清らかな乙女でいたい。
もう意地を張るのには、疲れた。
わたしは自由でいたい。