わたしは先生ではなかった。
「話し相手」だった。
「セラピスト」だった。
英語の文法を教えるより、大事なことあると思っていた。
だからそれに従って授業を続けていた。
「テスト対策問題」を要求する親。それを望むなら、他の先生に担当してもらえばいい。
わたしは、ただ点数を上げる手法を教えるために、単語を覚えさせるために、存在しているのではない。
親はただ要求を繰り返すばかり。
成績が上がらない、勉強しない、点数が取れていない。
根本的な問題に向き合うこともなく、ただ授業に通わせ、勉強させようとする。
勉強を強要すること。
それはわたしの仕事ではない。
ただひたすら英語の文法を教えるのなら、わたしではない担当の方が適役だ。
そんな授業を望むなら、担当を変わればいい。
遠回しに、その時間は担当できなくなったと告げるのだが、そんな生徒に限って、担当を離れようとしない。どうにかして他の枠で来ようとする。
なぜか。
生徒本人が必要としているのは、「セラピスト」だからだ。
英語の成績を上げることより、話を聞いてもらうことの方が大事だからだ。
なぜ担当を離れようとしないのか、ずっと疑問に思っていた。
その答えを、わたしは本当は、知っていた。
知らないふりをしていただけだった。
生徒たちが求めているものは、もうずいぶん前から知っていたはずだった。
癒しを求めるその手を、ずっと、振り払えなかった。
本当はずっと、わかってた。
わたしはずっと、セラピストだった。
英語を通して授業をしながら、セラピーをしていただけだった。
多分生徒たちは、それを肌で感じていた。
だから離れようとしなかった。
ただ、それだけ。
わたしはこれからも、どこへ行っても、セラピストであり続けるだろう。