許しと癒し

だいぶ記憶が薄れてきて、不快感は減ってきた。
こうやって時とともに忘れ去られていくことも多いんだろう。
良かれ悪かれ。


辛いことを忘れられるのはいいことだ。
だけどただ忘れるだけでいいのかと思ってしまう。


ただ忘れるだけでは、また同じことが繰り返されるように思う。
歴史が繰り返され、一向に教訓になっていないのと同じように。


忘れるだけではいけないような気がする。


「手放し」という言葉。
どうしても今回はその言葉ではないような気がした。
手放しって、掴んでいるものを放す、ということではないのか。
わたしは掴んでない、好きで持ってるわけじゃない、勝手に入ってきて、わたしの中に居座っているだけだ、傷が残されただけだ、と思って納得できない。


最終的にわたしの中で折り合いをつけるには、「許す」ということが一番合っているように思う。
そんな目に遭った自分を許す。
起こった事実を許す。


罪を憎んで人を憎まず、というけれど、加害者を許せるかというと、そこまでの気持ちにはなれない。
今回の加害者はアジア系だったので、街や電車でアジア系を見かけると嫌悪感があって、避けたい気持ちになった。
この気持ちに折り合いをつけるのは、簡単なことじゃない。


今日読んだ性被害に対するカウンセリングについて書かれた記事に、よくドラマで見かけるような全てを話して涙を流して解決、なんてことはない、と書かれてあって、本当にそうだと思った。
話すことで楽になるかというと、あまりならないとわたしも思う。
「辛かったね」と共感してもらっても、傷が癒えるわけではない。


その記事には、体のケアが必要だと書いてあった。
そこで終わっていたので、具体的にどういった体のケアなのかが不明なんだけど。
でもなんとなくわかる。


多分、体に受けた傷だから、体に働きかける必要があるんだと思う。
実際には見えないけど、体についた傷。
そこを触らないことには、癒えない傷。


最終的には、相手を許す必要なんてないのかもしれない。
自分を許し、自分を癒す。


そんな目に遭ってしまった自分を許し、そのことでついてしまった傷を癒す。
被害者の救済。
もしかしたら、わたしはその役目を持っているのかもしれない。