分析癖とクリティカル・シンキング Critical Thinking

少し前から話している、私が関わる大学の講義で、クリティカル・シンキングというモジュールがあります。
これはある枠組みを元に分析を行い、どのように意思決定をしていくか、という、ケース・スタディを通して問題解決の方法を探るというもので、先生の講義内容の一部です。
そこで大事なのは、"Why"クエスチョンだ、と先生は言います。
課題に対しての答え云々ということはさておき、ウンウン、と納得できる内容です。


アナリティカル・シンキング。
分析のために、"Why?"を繰り返す。


けれども、だ。


分析癖も、度を過ぎるとマイナスになる。


私は、自分自身のことに関しても、常にクリティカルに、アナリティカルに、見ている。
私には何が足りないのか、なぜ私は今の状況に立っているのか、原因は何なのか。
その結果、自分は何かを変える必要があるんじゃないだろうか、とか、改善しなければいけないんじゃないだろうか、とか、思ってしまう。


最近特に、この傾向が強まってしまった。
分析すればする程、足りないものばかりが気になる。


自分自身に対しての分析癖は、少し控えた方がいいのではないか?
そんなことを思う、この頃です。


問題解決は、状況に必要なのであって、
人そのものに当てはまるものではない。
人の持つ性質を分析し、
あれこれジャッジして、
いいとか悪いとか、優れているとか足りないとか、
そういうのは、何か違うのではないか?


意外と、人をジャッジしていませんか?
それは違うのではないかと、思うこの頃です。