ステイタスと龍馬脳

rock_azure2015-12-10

昨日の「所有物」と同じように、「ステイタス」も、とらわれなくてもいいものの一つだと思う。
肩書きが全てではない。


私はどこかで、有名大学を出た訳ではないというコンプレックスを持っていた。
地方の私立大学。
東京に来たら、ほとんど誰も知らないような大学。
地方の土地柄と裕福ではない家庭環境から、大学には行かず商業高校から就職する予定だった私が、途中で進路変更して大学受験するとなったとき、地元を離れられない私には、そこしか選択の余地がなかった。
だから時々、私立の一貫校に通っている上に塾に来て全然勉強しない、なんていう状況に、激しい憤りを感じることがある。
こんなにお金と時間をかけて、何を言っているんだ?と。
お金がかけられずに自力でがんばった私より、この子たちの学歴のほうが上だなんて、どういうことだ?と。


世の中は公平ではない。
学歴は一つのものさしでしかない。
そうは思っていても、どこかで引け目を感じていた。


ステイタスも所有物と同じだ。
それが素晴らしいから、その人も素晴らしいという訳ではない。
キラキラの王冠がなくても、自分が輝けることが大切なのだ。


それで急に思い出したけど、英国のハリー王子は、人間力としての輝きを感じる人だと思う。王室ということを差し置いても、人としての魅力があるから、王冠がなくても輝いている。


「龍馬脳のススメ」を読んでいるとガンガン響く、と思ったけど、実は私、既に龍馬脳に近いかも、と気付いた。


ステイタスも関係ない。
私が得てきた知識と経験は、自分の中にちゃんとある。
肩書きに関係なく、私は輝くのだ。


PS
賢い人ほど、学歴にとらわれなかったりしますね。
私が最初に教えた地方の塾は、錚々たる学歴の幹部たちでしたが、採用の際に出身大学を重視するということはなかったです。
教務システムが良ければカバーできるという姿勢でしたし、教えることの本質を見ていたのだと思います。