ピッタはマイナスじゃない

rock_azure2018-07-16

なんと、1ヶ月ぶりの更新。
パソコンに全然触っていませんでした。
マウイの記事も書きたいので、また後日、のんびり書こうと思います。


さて。
日曜日はラクシュミの練習日でした。
前回はピッタだったんだけど、今回、わたしはヴァータの手技をしてもらい、彼女はカパで。
どっちも良かった。
一時期ヴァータが合わない気がしていろいろ変えて使ってみたりしたけど、結局、わたしの肌質にはヴァータが合っているようで。
数日前にクレンジングをヴァータに戻したらしっくりきて、あー、やっぱりわたしはヴァータだ、と実感。


トリートメント(マッサージ)してパックが終わる頃には肌の変化がわかるんだけど、実感するのは次の日の朝だったりします。
顔が明らかに違う。
あれ?みたいな。
表現し難いけど、言葉にするなら、「ピカッ」としてる。
パチッ、ピカッ、パーーン。みたいな。
アロマセラピストのトリートメントをしていたときも、「施術後に目がぱっちりする」と友人が言っていたけど、本当に「開眼」する感じ。
特にわたしは最近ずーーーっとぼーーーーっとしていて、頭も身体もぼよよーーーんとしていたので、急に目が覚めたような感じになった。
足や肩甲骨のトリートメントもしたから、そのおかげもあるかもしれない。


ということで、またヴァータが心地よいのですが。


毎回、練習の後は打ち上げ?のようにタイ料理に行くのですが、その中で話していたこと。
わたしは肌質はヴァータなんだけど、性質は昔からピッタが強い。
それは自分でも自覚があって、その部分が出て来たときは「強い」とか「怖い」とか「近寄り難い」とか言われるので、基本的に自分のその部分を否定的に捉えていたところがあった。
でも、「ピッタのその部分は『ちゃんとしよう』としてるんだから、いいんだよ」と言われ、そうか、と思った。


熱くて理屈っぽくて曲がったことが許せない。
それを出すと、みんな怖がるし、引く。
だけど、自分の考えは譲れないから、もう好かれなくても仕方ないと思っていた。
でも考えてみたら確かに、その部分があるから頼られる。
いろんなことを任せられる。


生徒たちが離れていかないのも、そういうことなのかもしれない。
ピッタが出ても、それがマイナスに働いているわけではなく、「ちゃんとしてくれる」という信頼につながっているのだとしたら。
その「ちゃんとしている」を求められているのだとしたら。


ピッタは別にマイナスじゃない。
その部分が出て来たからといって、マイナスに捉える必要はない。


そうか。


そういえば、それぞれのドーシャ(性質)は、バランスを崩したときに過度に出てしまうので、上手くバランスを取ることを目的としてドーシャ別のケアがあるんだった。


頭では解っていても、心で理解できていないこと。
それは今までの体験だったり、世間の風潮だったり、いろんなことに左右されていたりする。
上手くいっていないことの理由を、「一部」の、「個人的」なことに押し付けてしまうことって、よくあると思う。
でも、「一部」だけを見て、いいとか悪いとかの判断をしてしまうのは、やっぱり違う。
俯瞰して見ると、表裏一体、光があるから影があり、そのどちらも、「いいも悪いもない」。


ニュートラルな目線を。
それが豊かさにも繋がると思う。