やさしさって

そもそも、「やさしさ」って、なに?っていう・・・・・^^
まぁ定義は置いておいて、私は自分のことをやさしいとは思っていない。
でも時々、私のことを「やさしい」と言う人がいる。
そんな時、私は「違うよ、そんなことないよ・・・・」という違和感を持つんだけど、そもそも、どういうことに「やさしい」と感じるかということは、人によって違うような気がする。


私は短気だし、よくキレるし、イライラするし、怒るし、基本的に冷めてるから、「やさしい」というイメージとはかけ離れている。そう思っていた。
「やさしい人」っていうのは、いつも穏やかで、言葉遣いもやわらかくて、すぐに怒ったりしない、と思っていた。
なんか、マリア様とかナイチンゲールとか、そんな天使みたいな人。


大体、「やさしくする」っていうのがどういうことなのかが分からない。
「やさしい言葉」なんて思いつかない。


それでも、私のことを「やさしい」と言う人がいるのは、私が「向き合っている」からなのかな、と思う。


前のスクールでお世話になった校長先生が私の授業についてコメントをくれたとき、「いい授業をするわね、なんか、こう、包み込む感じ」と言われた。
彼女は「やさしい」という表現は使わなかったけれど、そういうことなのかな、と思う。


敢えて自分のことを「やさしくない」と思う必要もないのかな、と、このごろは思えてきた。
でも1つ、伝えておきたいことがある。


先日の日記で父のことを書いたとき、「そういう気持ちになることを責められない」と言ったけど、母のときは違っていた。
早朝に電話があり、「死んでお詫びをするしかないのよーーー!」と言う母に、「甘えるなーーーーー!」と叫んでしまった。
それはいろんな気持ちが入り混じっての言葉だったんだけど、なんというか、そんな簡単なことじゃない、私がどんな気持ちで今まで生きてきたんだと思ってるんだ、ふざけるな、逃げるな、という気持ちだった。


結局、母は逝ってしまい、止められなかった訳だけど、私はその辺りから、「それもすべて受け入れる」ということをするようになったと思う。
「本人にしか分からない何かがある」ということ。


最後のほうに母が私に抱きついて子供のように泣いた時、私は「逆じゃないか」と思ったけど、この人は自分の娘にしがみついて泣くしかないんだ、他にいなかったんだ、と気付き、「あー、もう私はいいや」と思った。
「この人は私より親に甘えることができなかったんだ」と思った。そしてそんな母が私に甘えたことで、チャラになった。


起こっている出来事にはすべて意味があると思う。
「あのときは辛かった」という感覚は残っているけれど、今はそのときの感情を越えている。
理解したうえで、自分の行動をどのようにしていくか。
きっと鍵はそこにある。



やさしさとは、きっと、受け止めることだと思う。