「私なんか」病

最近、立て続けに2人から届いてしまった、この言葉。


私も昔はそう思っていた。
「私なんか・・・・」「どうせ・・・・」
でもそれは、自分の殻に閉じこもって、上手くいかない理由を全て周りのせいにして何もしない、口実のようだと気付いてから、この言葉を封印した。
それ以来、もう口にしていないと思う。
ある人が「死にたい」というようなことを言った時に「死にたいなんて思わなくたって、どうせいつかは死ぬんだから」と言ったことはあるけど。
その話はまた後ほど述べようと思いますが。


「私なんか」という言葉の裏には、甘えがあるように思う。
私なんか・・・・だから、・・・・(やらない)。
積極的に動いて、そのことに対するリスクを負って、結果に責任を取る。
それが怖いから、「どうせ私なんかがやったって上手くいかない」と言う。
もちろん、誰かが過小評価したとか、やったけど上手くいかなかったとか、過去の経験に基づいているかもしれない。


「私なんか産まれてこなければよかった」
昔、そう思ったことがある。
だけど、それって、物凄く傲慢な気がする。
そんなこと、自分が決めることではないのだと思う。
そんなこととは程遠いところに生命の神秘はある。
生きているということは、それ自体が物凄いことなのだから。
でも、生きていることが当たり前だと思ってしまえば、命の大切さがわからなくなる。
生きているということは、植物や、動物や、地球や太陽のエネルギーをもらっているということだ。


そういえば、「宇宙はその神秘を解明してもらいたくて人間を誕生させた」ということを何かで読んだな・・・・。


話が逸れましたが、「私なんか」の言葉の裏には「認められたい」という心理が隠れているように思う。
肯定して欲しいから、敢えて否定的なことを言う。
「そんなことないよ」と言って欲しい。
それはきっと、甘えたくても甘えられなかった人の心理なんだろう。


私もそうでした。
でも卒業することにしました。
いくら他の人に「そんなことないよ」と言ってもらっても、「だって・・・」「でも・・・・」を繰り返して、抜け出せない。
それは、自分が本気でそう思っていないから。
私の場合、延々とそれを繰り返して、自分の尻尾を追いかけてグルグル回っている状況に「飽き飽きして」しまった。
なにやってんの?いつまでそうしてんの?バカじゃないの?
・・・・・。
で、「や〜めた!」
書き間違えた紙を、失敗した絵を、丸めて、ぽーーーいっ!と投げる感じ。


あぁ、スッキリ。


だから「私なんか」病にかかっている人には、いつかそこから抜け出して欲しい。
それは、自分でしか出来ない。
自分を肯定すること。自分をしっかり受け止めること。
誰かと比べることや、標準であるかどうかではなく。
結局、基準なんて自分が決めるしかない。
人が違えば変わってしまうようなものなのだ。
そんな誰かの基準に右往左往していたら、そのうちに人生終わっちゃう^^


さっきも書いたけど、死にたいと思っても死にたくないと思っても、死は訪れる。
どうせ死ぬんです。
だったら、思うように生きるしかない。
私は死ぬ前に「死にたくない」とか思いたくない。そんな未練がましいのは嫌だ。
「充分生きました。辛いことも楽しいこともいろいろあったなぁ。」と思って死にたい。
いつ死んでもいいように、生きていたい。


だからもう、「私なんか」とは思わない。
私は、私だ。
それ以上でも、それ以下でもない。
どこに行っても、何をしても。


それで思い出したけど、随分前に空き瓶に紙粘土を付けて天使のようなものを作っていた時期があったんだけど、出来上がった作品を見ながら「自分だなぁ」とつくづく思った。
どこがどう、とは言えないんだけど、雰囲気が、自分を見ているようだった。
何を作っても自分が表れる。
なんかこう、隠しきれない何かというか、出そうと思わなくても出てくるものというか、あがなえない何か。
私はその作品を見ながら、自分と向き合うことや、自分から逃れられないことを、知ったのかもしれない。


そうそう、
人は失敗を恐れるというけど、成功も恐れているのではないかと思う。
つまり、変化を恐れるというか。
「失敗したらどうしよう」と同じように、「本当に成功してしまったら、どうしよう」という不安が、あるのではないだろうか。
変わってしまうことに対する、恐れ。
今の状況が変化してしまうことが、怖い。
だから閉じこもる。


だけど、じゃあ、閉じこもっていたら何も起こらなくて安全かというと、そうではない。
世界は、気付かないうちにどんどん変化している。
昨日と今日では、雲の大きさも違うし、太陽の温度だって、月との距離だって、違うのだ。
何も変わらないなんて、有り得ないのだ。


だったら自分で舵を取れ。
進路は自分で決めるのだ。
揺られながら、照らされながら、吹かれながら。


私はそうやって生きていたい。