所有物

私自身は、あまり大きな地震災害に遭ったことがありません。芸予地震阪神大震災の時も、物が落ちて部屋が散乱したくらいでしたし、東日本大震災の時は、たまたま東京から引き上げて地元にいて、揺れもその後の混乱も体験していません。発生前の数日間寝込んだくらいで、他は何も影響ありませんでした。
防災について、何も意識がない訳ではありませんが、実体験がない分、危機感が薄いと思っています。以前に働いていた派遣先でたまたまもらった防災リュックに、水と缶詰と生理用品を入れているくらいです。
そして何より、どこかで震災が起こったとき、自分が何をすべきなのか、ということが私の一番の課題です。今まで募金はしてきましたが、それ以外に具体的に何をすべきなのか、私の答えは出ていません。


ただ、常に思っているのは、自分にできることを普段からしておく、ということです。もちろん、大変なときに誰かを助けてあげられることは大事ですが、避難生活を代わってあげたり、壊れた家を直してあげたりはできません。そう思うと、結局自分の目の前にあることをちゃんとすることが大事なんじゃないか、という気持ちになるのです。


少し前に、保育所の建設に反対意見があって断念したという記事の中に「それで家の資産価値が下がったらどう保障してくれるんだ」という意見があったと読み、そこから考えていたことがあった。
「所有物について」である。
人間は傲慢だな、と時々思う。
そもそも、この土地は、人間だけのものではありません。遥か昔に誕生し、人間を生み出した、この地球のものです。人間は、間借りしているに過ぎないのです。死んでも持っていける訳ではありませんし、どんなにそこに値段をつけても、地震があれば崩れ、津波が来れば流され、海面が上昇すれば沈んでしまうものなのです。
それをまるで自分の所有物のように我が物顔で扱う人間。
そもそも根底が間違っているのです。


空き巣に入られ、貴金属が被害に遭ったとき、所詮「所有物」はなくなるものなのだと、そこに執着しても意味はないのだと思った。
自分が買ったものでも、やはり「一定期間所有している」に過ぎないのだ。代々受け継がれてきたものには想いや価値が加わるけれど、根本は同じだ。


結局大事なのは「生き方」であると思う。
そこにどういう想いを込めて生きるか。
どういう想いで購入し、どういう想いで所有し、どう大切にし、どう手放すか。
ものの価値は、心が決めるのだと思う。



「所有物」は決して永遠ではない。
私たち生命はみんな、地球に間借りしているに過ぎない。
だから、みんなで協力して、支え合って、母体である地球を大切にするしかないと、私は思う。