求められる人

最近ずっと気になっていることがある。
求められるとはどういうことか。
「必要とされる」ことを目標にしていたから、その結果が出ているとすれば、当然のことなのかもしれないんだけれど。


「その時間を担当することができなくなったので、他の先生に変更を・・・」と伝えても、「じゃあ他の時間で、じゃあ他の曜日で空いているところに」という返答がきて、すんなり「はい、わかりました」とはならない。


なぜなんだろう?


ありがたいことなんです。
名誉なことなんです。
だけど私には不思議でならない。


そこまでして変わりたくない理由は何なんだろう?
英語を教えることなら、私じゃなくてもできる。
ちゃんと教えている先生は、いくらでもいる。
むしろ、私の方が、ちゃんと教えられているのか疑問なくらいだ。
余談が多くて話があちこち飛んじゃうし、雑談も聞いてあげるし、ともすると「あれ、何の授業だっけ?」ということがある。


なのに。
私の担当を変わろうとしない。
なぜ私なんだろう?


その問いに答えはないんだろうか。


求められるとはどういうことだろう?
私の何が求められているんだろう?
そして、
この疑問がずっと晴れないまま存在するのはなぜだろう?


もしかして、出し切ってないからなんだろうか?
持っているパワーを出し切ってもないのに、みんながついてくるから気持ち悪いんだろうか?


もっとできるのかもしれない。
もっとできることを知っているからこそ、違和感があるのかもしれない。
振り切れるまで、あとどのくらいだろう?