歯止め

rock_azure2017-06-02

日本人の若者の自殺率が高いという記事を見かけた。
自殺率の高い国。
そう言われ続けて何年になるんだろう。


中学生くらいだと、いじめによるものをよく目にする。
高校生になると進路や受験、大学生で就活、社会人では会社の人間関係や過労・・・


こうやって書いていくと、なんだか「生きにくい社会」で暮らしているように思えてくる。
その見かけた記事にも書いてあった。
違いを認めない、個を尊重しない風潮が背景にあるのではないかと。


「命の大切さ」なんて言っても、多くの人にはピンとこないのかもしれない。
東京では毎日のように電車の人身事故が起こっている。
それがあまりにも日常すぎて、その反応も「電車が遅れて困る」でしかなくなっている。


死ぬことと生きることは表裏一体で、同じことだと私は思う。
自ら死を選ぶ人の心境は「こんな風に生きていたくない」だとすれば、
つまりそれは「もっと他の生き方がしたい」ではないのだろうか。


他の生き方ができるとしたら。
人生をやり直せるとしたら。


完璧な人生はない。
失敗がなければ成功もない。
だけど世の中には、「あの頃に戻ってやり直したい」という人が多いように思う。


もしその頃に戻っても、失敗した経験がなければ知恵もなく、また同じことを繰り返すのに。


失敗も含め、欠点も含め、受け入れて進む。
「人生をやり直す」という観念があるなら、それは今からでもできる。
過去は変えられない。
変えられるのは、今から先のことだけ。


人生をやめたいと思ったときに、「歯止め」になるもの。
生きる希望を見失いそうなときに、思いとどまれるもの。
私の場合、一番大きかったのは「負けたくない」という気持ちと、状況を理解してくれている友人と父親の存在だった。
自殺は究極の「逃げ」であり、その逃げによって周りを傷つけることになる。だから自分が楽になって周りに辛い思いを残すのは違う、と思った。


辛い状況から、逃げてもいい。
弱っているときは、無理に戦わなくてもいい。
だけど、命を逃げに使ってはいけない。
時々、いじめた側に対する見せしめのように自殺する人がいるけれど、命をそんな風に使うのは違うと思う。
私もそう思ったことはあるけれど。
「私が死ねばいいんでしょ?」と思ったことは、あるけれど。
それは解決法ではなくて、ただの放棄だから。
ヤケクソになっているだけだから。
本当は自分らしく生きたい。
だからこそ、辛くて投げ出したくなる。
でも本当は「生きたい」。


反動力で生きてきた。
辛い思いも、いつか役に立つと思って生きてきた。
経験があるからこそ語れる何かを、誰かのために使えるかもしれないと思って生きてきた。
「自分らしく生きる」こと、それが誰かの「歯止め」になること。


もっと輝けるように、もっと自分の真ん中に忠実に、「美しく生きる」。


美しい人の足元には、涙の泉がある。
その光が反射して、瞳がキラキラと輝いている。