ジャッジする

最近気になっていること。
世の中が、やたらと「ジャッジ」で溢れている。
それはある意味、「決めつけ」でもある。
何かが起こると「だから◯◯は××なんだ」とか、短絡的な決めつけをするコメントが溢れる。


そういうわたしも、「最善策」がらみで決めつけをしてしまった。
自分もそういうことをしてしまったということを、あえて記録に残すために、記事は修正しないでおく。


だいぶ免疫がついてきたけど、Yahoo!のニュースをスクロールしていると、ジャッジや決めつけの入ったタイトルが本当に多い。
前にも書いたけど、「残念な女子の特徴5つ」なんていうのはその最たるもので、何様のつもりでそんな記事を書いているのかと言いたくなる。「モテる女子はここが違う」とか。勝手なことを言うなと言いたい。
何に魅力を感じるかなんてことは人によって違うはずだし、そもそも「モテる」とは、なんだ?
こういう女子はいい、こういう女子はダメ、とか、そんなことを記事にして誰が得をしているのだろう?
そんなの、ただの井戸端会議か合コンの内容じゃないか?
どうでもいいことじゃないか?
公の場で話す内容なのか?


そもそも、人としての魅力であれば、わざわざ「女子」「男子」に分ける必要はないわけで、その時点でジェンダー問題的にアウトだし。
「女子として」という偏見からスタートして「良い・悪い」を勝手に判断され、まるでそれが世間の常識であるかのように語られる。
なんなんだ、一体。


それに踊らされている人はどれくらいいるんだろう?
「これができたら女子力高い」とか言われて、じゃあチャレンジしようと思う人って、どれくらいいるんだろうか。
それによって、例えばクッキングスクールの生徒が増えていたり、するんだろうか?
むしろ、「あー、わたしはそれできないから女子力低いわ・・・」という自己評価の低さにつながって、マイナスに働くことのほうが多いんじゃ?と考えてしまうのは、わたしだけ?
「こうしたほうがモテる」とか言われて、そうやって振る舞うのかな?
「ハイスペックの男子はこういう人を求めている」とかいう記事があったけど、そういう「ハイスペック」を「ゲット」したい人は、それを真似るのかな?
ていうか、「ハイスペックな男子」って・・・


もう、ツッコミどころ満載。


ところで、「評価」と「ジャッジ」は違うと思う。
「評価」は良い面を「認める」という意味合いがあるけれど、「ジャッジ」は「良い・悪い」を「判断している」に過ぎない。
物事の「見極め」は必要だけど、「ジャッジ」って、そんな簡単にできるものではないのでは?
特に「人に対するジャッジ」というものは、ちょっと違うと思う。


見えているものは、一面に過ぎない。
渦巻いている宇宙の、ほんの一部しか見えていない。
それだけで「ジャッジ」なんて、本当はできないはずだから。



余談。
当時まだ中3だった男子生徒が「母親に『スペック高いね』と言ったら、微妙な反応するんだよね・・」と言っていた。
いろんな意味で、「さすが」な親子。