完・最善策

さて。
物語には続きがある、というより、常に動いているもので。
今回のオチは、◯曜日でお願いします、の曜日を、電話を受けた人が聞き間違えていた、というものでした。
おやや。
勝手に悪者扱いしてしまったお母様、ごめんなさい。
わたしの話を聞いてなかったわけではなかったのですね。


スムーズにいくときは何の問題も起こらないのに、上手くいかないときは何かと問題が重なるというのは、なぜなんだろうか、という問いはひとまず置いといて、とりあえず一つの結果に落ち着き、ひと段落です。


今回のことで、わたしの中ではっきりしたことが一つありました。
それは、途中にも書きましたが、自分の方向性や意向を「守る」ということです。
「明け渡さない」とか「妥協しない」とかいう言葉にもできるのですが、それらの言葉はどこか「我を通す」という意味が入ってしまうので、ちょっと違うのかな・・・と思ったりします。


自分の領域を守るということ。
なんとなく「譲歩」してしまう傾向があるわたしは、その加減がわからなかったりする。
でも今回は譲れなかった。
それは、心が狭いからではなく、ワガママだからではなく、融通がきかないからではなく、きちんと自分を守りたかったから。
貴重な経験だったと思う。


とりあえず、わたしの中での「あるべき姿」に落ち着きました。
つまり、今のところの「最善」なのですが、その最善の姿は、他人には見えないものなのかも、と、ふと思いました。
何が「最善」なのか、気づいていない人も、考えていない人もいるのかもしれないし、何が最善なのかは、人によっても異なります。
ただ、わたしは「流されるだけの存在」になりたくないのかもしれません。


自分のできる領域は限られているけれど、何も策を講じないのではなくて、そのできる範囲で何かをしたい。
そう思うのが、わたしなんだな、と。
そしてそれは、アーユルヴェーダの考え方でもあります。