みっともないという意識

最近の話題から。
いや、いろいろあるのですが、ニュースになっていることでも、なかなか真相はわからないものだと思います。誰が言っていることが真実なのか。


いや、そもそも真実が一つかどうかなんてわからない。
とはいえ、ドロドロの泥沼騒動になっているものに関しては、関わっている人の透明度というか、ある意味興味深いと思うところです。


そしてその中で、気になったのが、某ハリウッドスターの離婚問題。
まぁ、そんな相手を見抜けなかったのは自業自得な部分もありますし、実際にどういう状況だったのかはわかりませんが、最初から多額のお金を請求しているところが、どうも腑に落ちない。
だって、相手がセレブ?だからいくらでも請求できますけど、これがもし普通の人なら、そんなお金、取れる保証はない訳ですよね?
そしたら、結婚する前に、もっと慎重になるんじゃないですか?
辛い思いだけすることがわかっていたら、危ない橋は渡りませんよね?
そう考えると、最初から破綻することは予想した上で、結婚したんじゃないの?と思ってしまう。


若いだとか美人だとか言われても、私にはちっとも魅力的に見えない。
ちっともピンと来ない。
この人の一体何がよかったんだろうと不思議に思う。


でも、一番違和感なのは、主張の仕方だ。
なんだか強欲を感じる。
騒ぎ立てて、高額を求める。
その行為が、なんだか下衆いのだ。


それは、「みっともない」。


西洋は罪の文化、日本は恥の文化、と何かで習ったが、他人の目を気にするということだけでなく、みっともないとか己が廃るといった感覚は、決して悪いものではないんじゃないかと思う。
筋を通すとか、自らを律するとか、それは生き様のような気がする。


正直、騒ぎ立てる姿を見ると、「みっともないなぁ」と思う。
主張することと、騒ぎ立てることは、違う。
みっともないし、ダサい。


自分には全く非がないんですか?
自分にも少なからず非があることをわかった上で、主張しているんですか?


乙武さんの奥様が謝罪した時に非難があったけど、私は片方だけが100%悪いということはほとんどないと思う。
もちろん責任の割合はあるけれど、物事は複合的に絡みあっているから、そんなに単純に切り分けることは出来ないと思う。



だからこそ。
自分のことは棚に上げて、相手ばかり攻撃している人を見ると、「みっともない」と思う。
美しくないですよね。



美しく生きる。
それが私のテーマです。