アーユルヴェーダと小宇宙

実際に書いているのは日曜日ですが、今日からアロマヴェーダのコース受講が始まりました。
台風が近づいている影響で、少し短いバージョンになりましたが、それでも入ってくる情報量と、それに伴って頭の中で考えを張り巡らせている量は半端なくて、何度も反復しながら落とし込んでいく必要があります。


このブログにも小出しにしていくと思いますが、とりあえず今日のところは「小宇宙」について。
(校長先生のテキストの中から引用しながら書いています)


アーユルヴェーダの考え方では、わたしたちを取り巻くもの全てを「宇宙」として捉え、わたしたち人間の心身は「小宇宙」として理解し、その二つは切り離せないものとしている。
わたしという「存在」は「宇宙の現象の一つ」であり、実体はない。


「実体はない」ということ。


「わたし」という人間を「こういうもの」と決めてしまうことで、執着してしまうものがある。
こうでなければいけない、これがあるからいい、ないから悪い、云々かんぬん・・・
だけどわたしに「実体がない」なら。
「今ある自分」が、「単なる現象」だとしたら。


多分、そこに結論はないということ。
自分という存在に結論はなくて、生きている限り現象は続き、その現象が全体図を作っていくということ。


現象が渦巻いて、自分という「小宇宙」がある。


わたしたちも宇宙の一部であるからして、その法則性から逃れて存在することはあり得ない。
自分の意志や理解力だけではどうしようもない枠組みや制約、宿命がある。
そこだけ見れば、とても非力で空しい。


だけど。
その宇宙の中で、その一部として「働きかける」ことができる。
「空しい、空しいと言って、ふてくされている生き方を超えていく」のだ。


出た、「超えていく」!
アーユルヴェーダもbreakthroughだ!(笑)


自分という存在の枠組みを知る。
そしてそれを受け入れた上で、行動する。
それは、小宇宙として宇宙を構成する、わたしたちに与えられた役割だと思う。


自分の周りの人たちも、みんな、渦巻きながら小宇宙を作っている。
少し前に悶々としたことも、みんなが「渦」なんだと思うと、なぜか納得して楽になった。
みんなが「うず」。
いろんな現象を巻き込んで蠢いている「うず」なんだ。
見えている部分は、出てきているものは、その「うず」の一部にすぎない。
宇宙の全体図の一つの現象だという認識のもと、その現象を引きで見てみたら、どんどん「うず」は大きくなって、いいも悪いも優劣も、判断つかないものになる。


渦巻いていたのは、自分だけじゃなかった。
そう思うと、楽になった。
みんな渦巻いている。
みんなが、小宇宙。


全ては回っている。
宇宙の法則。


全ては渦巻いている。