ずっと自分に問いかけ続けていること。
自分の存在意義。
そろそろ終盤になってきたアロマヴェーダのコース。
校長先生の講義は精神への栄養になっているし、実習は肌や身体への栄養になっている。
ハードスケジュールでも、癒しになっている時間。
今回の午前中の校長先生の講義は、セラピストとカウンセリングについてだった。
その中に「自分の話を真剣に聞いてくれるというだけで、癒しなのです」という言葉があった。
そしてまた生徒たちのことを考えた。
私の授業に通ってくる生徒の多くは、この「癒し」を求めて来ているのではないだろうか。
「自分の話を真剣に聞いてくれる人」に、人は集まる。
私はセラピストでありたいから、話を聞いて、状況を把握して、私が伝えられる何かを伝えたいと思う。
生徒に対しては、時には厳しいことも言うけれど。
基本的には、プラスに進んで欲しいと思っている。
それがある程度成功しているからこそ、生徒たちが続けて来ているのかもしれない。
伝わっているからこそ、必要とされるのかもしれない。
だけど、その実感は、形のないものだからこそ捉えにくい。
お昼休憩の時に、隣の人と話していた。
ハードスケジュールなのに無理な依頼をしてくるという話に、心から、真剣に、共感してくれた。
それが本当に有り難く思えた。
なんだか心が緩んだ感じになった。
生徒だけでなく、他の先生からも、「ねー、聞いてくださいよー」と話をされることが多い。
心に余裕があるときはいいけど、自分も疲れているときなんかは、思ってしまう。
What about me?
え、私は?
私の分は、誰が聞いてくれるの?
その気持ちを、埋めてくれた。
スクールに通っている人はやっぱり、セラピストの素質を持っているんだな、と実感した。
話を聞いて、受け止めて、相手に必要なことを言ってくれる。
ただの文句や愚痴じゃなく、癒しにつながる何か。
そこには微妙だけど歴然とした違いがある。
そうやって癒されると、自分を大切にしようと思う。
そうやって辛さを認めてもらえると、自分を真っすぐ整えようと思う。
歪みを直して、本来の姿に戻ろうと思う。
自分も癒されることの大切さを知った時間だった。