泣くということ

誰かを泣かせてしまうことがある。
ここ数日で、2回あった。
2人とも、個人の生徒。


最初のは、明らかにわたしが多忙と寝不足のために気持ちに余裕がなく、キツい言い方をしてしまったことに一因がある。
彼女は以前にも一度泣いたことがある。
その時は、別にわたしが泣かせたというわけではなく、話の流れでそうなった感じだった。
とはいえ、英語の点数が上がらないのはなぜだと思う?という話をしていた時で、でもそれは責められているからとか言われている内容が辛いから泣いたという感じではなく、悔しいのかな?と思った。
そして「なぜだかわからないけど泣いてしまう」と言っていた。
彼女は記憶力がいいほうではない。
だから、何度も出てきているのに単語の意味を覚えていないということが多々ある。
それに対してわたしはというと、最初はそれに根気よくヒントを出したり例文を出したりして自力で答えにたどり着くように話すんだけど、だんだんと、前にも言ったよね?さっきも出たよ?という感じになり、最終的には口調が強くなってしまうことがある。
できるだけそうならないように意識はしているんだけど。
この頃、週の後半の金曜日には疲れがピークになっていて、先週土曜日はもう、彼女の授業の時にはフラフラだった。
だから根気よく待つことができず、強い口調で言ってしまった。
音読しながら物語を読んでいた彼女の顔が赤くなったと思ったら、次の瞬間には涙が出ていた。
必死で文章に向き合いながら、「もうわかんない・・・」と言って泣いていた。
それでも彼女は音読を続け、ポロポロ涙をこぼしながら最後まで読んだ。
余裕のなさからキツい言い方をしたことに反省をしながら、泣きながらも最後まで授業を続け、課題を終わらせ、「また水曜日に」と言って帰っていった彼女を見送った。


そんな彼女を見ていると、泣くということは決して弱さの表れではないと思ってしまう。
逆に、強いものを持っているから泣くような気がする。
だからわたしは誰かを結果的に泣かせてしまっても、あ、泣いちゃった・・・と思うけど、それを悪いことだとは思っていないし、あまり動揺しない。


泣くことは、別に悪いことじゃない。
むしろ、必要なことだと思う。
もちろん、意図的に相手を傷つけるようなことをして泣かせるのはいけないけれど。
泣くことを避けて本音を言わなかったり感情を引っ込めてしまうのは、違うと思う。


誰かに涙を見せられるというのは、大事なことじゃないだろうか。
泣くほどの感情を出せるというのは、ある意味、人間関係の豊かさを表しているんじゃないだろうか。


昨日泣いてしまったのは、M子ちゃん。
長文を読むにあたって、話の筋を掴むには本や新聞を読むことや知識をつけることは大切だよ・・・と話していたら、やらなきゃいけないことが多すぎて思い詰めてしまったのか、「勉強が辛い」と言って泣いてしまった。
素直で真面目なM子ちゃん。マイペースでふわっとしている雰囲気が可愛らしいM子ちゃん。
医学部を目指すというのは、並の負荷ではない。
がんばっているのに、わたしがあれもこれも言ってしまって、不安が爆発しちゃったのかもしれない。


迷ったり、不安になったり、見失ったり、不安定な時期だと思う。
自分がどうしたいのかも、まだ見えていないかもしれない。
できる限りの言葉をかけたけど、伝わっただろうか。


泣くということ。
それは、決して後ろ向きな行動ではない。
だからわたしは、泣くことも泣かれることも恐れていない。
そして、涙を受け止められる人でいたいと思う。


そんなことを思っていたら、Yahoo!ニュースの中に見つけた「泣ける人の方が精神的に強いわけ」という記事に似たようなことが書かれてあった。
しかも「涙はマイナスの感情を解放してくれるだけでなく、毒素を排出し、5〜10分で90〜95%の細菌を殺し、視界をも向上させてくれる」らしい。


泣くということは、心も身体も健全な証拠なのかもしれない。