10年

ちょうど、ラジオで10周年のバンドの人が話していて、「10年やろうと思うと長く感じるけど、気づいたら10年経っていたという感じだ」と言っていた。
確かにそうだなと思い、ふと思い出した。
東京に出て来るとき、お義姉さんに、どれくらい行くの?と聞かれ、何事も10年というから10年はいるつもりかな、と答えた。
結果、4年半で一度帰郷し、父の世話をした期間が1年弱あったけど、そのあとはやっぱり東京に戻ってきて5年が経ち、いつの間にかあれから10年になろうとしている。


正直、愛媛に帰る気なんてなかった。
わたしが「ここを出よう」と思ったとき、それはある意味「決別」だった。
「いつ帰ってくるの?」という質問に、正直戸惑った。
戻ることなんて想定してなかった。
それが、4年半経って、なぜか一旦帰ろうと思い、帰ったら父がいよいよ末期だった。
父に呼ばれたんだと思った。
本人は「帰ってこい」なんて言わなかったけど。


父のことの整理がついたとき、やっぱり居場所はここじゃないと思った。
わたしが帰るべきところ。
それは、生まれ育った場所とは限らない。
わたしにとっての「自分の場所」は、吉祥寺になっていた。
「吉祥寺に帰りたい」と思った。


吉祥寺といえば。
今、通っているアロマヴェーダのコースで使用している製品は「ラクシュミ」。
その女神の日本名は「吉祥天」。
ただの偶然ではないと思った。
それはsignだ。


10年前。
東京に出てきて、ベースのゆうこりんと一緒に残りのメンバーを募集して、スタジオで練習していた。
うまくいかず解散し、しばらく弾き語りをして、そのあとは活動をお休みしていた。


そして今。
またゆうこりんと、そのときのギターを誘って、バンド活動を再開している。
1周してまた再会。
一度離れてもつながるのは、きっとご縁だ。


「いつか沈んだ希望は 形を変えて今浮かんだ
 時空に逆らって ゆけるだろうか」


初期のゆうこりんの曲「ウォーク」の歌詞から。
改めて演奏して、ゆうこりんの感性がやっぱり好きだと思った。
10年経っても変わらないもの。
そこには揺るぎない何かがある。


10年ひと昔と言うけれど。
それは年輪のように刻まれて、また繰り返しながら新しい層を形成し、深みになっていく。