ウラの話

M子ちゃんの授業復活の際、ウラで発生していた話。
当時わたしは、アロマのスクールに通うに当たって、担当を減らそうとしていた。
生徒からの急なキャンセルがあると実績が減ってしまうという不安定な状態から抜け出すために、定収入が得られる仕事にシフトしようとしていた。
それを伝えたら、社長から交渉があった。
そしてその中で社長が言ったこと。
「あなたが担当しなかったら、M子ちゃんは、やめるわよ」


その可能性を、否定はしない。
わたしが担当できないならやめる、ということはないにしても、少なからず意欲を削いでしまうことはあり得るから。
だけど、彼女がやめるかもしれないという可能性を持ち出してわたしを引き止めるのは、スジが違う。
なんだその脅しは。


生徒にやめられたら困る、というのは会社側だけの視点だ。
まぁ、経営者だからそういう発言なんだろうけど。


わたしはM子ちゃんを知っていて、彼女が何を必要としているかがわかっているから、それに応えてあげられないということが気になった。
わたしを必要としている人がいるなら、応えたい。
助けを求めて出された手を、振り払えない。
それが、素直で真面目で可愛らしいM子ちゃんなら、尚更だ。


M子ちゃんを担当しないというつもりはなかった。
むしろ、どうにか調整して担当できないかと考えていた。
それはわたしにとって「えこひいき」ではなく、意欲の高い人にはそれなりに対応するという意識だった。
事実、M子ちゃんは、よほどのことがない限り、急に授業をキャンセルしたり、忘れて来なかったりしない。遅刻はあるけど、必ず「遅れてすみません」と謝り、どんな話も素直に真面目に聞いて、「そうなんですね」と受け止めようとする。
そんないい子を、ほっておけるはずがない。
人間だもの。
先生と生徒だって、気持ちが通じ合って成り立っている。


わたしだからできることがあるとしたら、そういう、M子ちゃんとの関係性のような、相手に必要なことを察知して与えるということなんだと思う。
小さくても、どこか心の隅っこが満たされたような、豊かになったような、そんな感覚を感じて欲しい。
その想いは、きっと通じている。


M子ちゃんのようながんばり屋さんの生徒が、最終的に残っていくんだと思う。
そしてわたしはその素質を「賢さ」と呼んでいるけれど、それは多分、「賢明」であり「懸命」であることなんだと思う。
「賢い」ということは、素直で実直で、愛らしいことなんだと思う。