「何か」になろうとしなくていい、わたしにはわたしがある

時々見てしまう、YouTubeのカードリーディング。

フィードに出てくる初めての動画に気になるものがあって、観てみたら、なかなか印象深いことを言われたりして。

 

どれくらいの人が「当てはまるな」と思うのか、そういうことを考えていると、何を信じればいいのかわからなくなってくるんだけど。

 

とはいえ、偶然耳にしたことも、何度も言われることも、全て何かのメッセージであるとか、そのときに必要なことに出会うようになっているとか、そういう側面はあるんじゃないかと思っていて。

 

最近、何度も言われることの中に、「そのままの自分でいい」というのがあるんだけど、それをどこまで自分の中に落とし込むかって、人によって全然違うんだろうな、と思う。

 

いい歳になるまで、「そのままのあなたでいい」と言われなかったわたしの世代としては、「それってどういうこと?」という疑問のほうが大きくて、なかなかその境地に辿り着けない。

 

「こうあるべき」「普通はこうする」「こうなってこそ一人前」「こういう人生を歩むのが幸せ」・・・

 

そうやって常に「べき」を意識しなくてはいけなかった、それが何十年も続いて、今になって「そのままで」と言われても、「そのままって、何?」と迷子になるのは当然なんじゃないかな。

 

いや、わたしはずっと、その圧力に心では反抗していたけど、それでもやっぱり生きていくには従わないといけないんじゃないか、という気持ちに揺らされてきた。

それを外す作業というのは、意外と難儀だ。

 

 

ずっと、その「わたしらしさ」を表現するために、わたしは「何か」になろうとしていた。

自分らしさを認めてもらうためには、何か特別なものを持っていなければいけないと思っていた。

 

わたしらしさの証明のために、「何か」になろうとする。

それが実は、大きな矛盾だったんじゃないかと気づいた。

 

わたしらしくいるために、「何か」になる必要はない。

 

「ただあなたがあなたでいるだけでいい」

それがどういうことなのか、わたしはまだわかっていない。

だけど一つだけわかったのは、誰かに認められるために「何か」を目指さなくていいということ。

 

何も持たなくていい。

戦うための武器も、数を味方につけるための名声も、高価な持ち物も、有名大学の学歴も、自慢するべきキャリアも、有り余るほどの年収も、なくていい。

それらを持っていなくても、あなたにはあなたがある。

 

大丈夫、わたしには、わたしがある。

 

何かに迷ったとき、虚無感に襲われたとき、孤独を感じたとき、そう思おう。

 

f:id:rock_azure:20210612153357j:image