なぜだかわからないけど、自分はブスだと思っていた。
いや、ブスというより、可愛くないと思っていた。
自分は可愛くない。
それって、一体何を基準にしていたんだろう。
自分が可愛いと思っている人と比べたら、自分なんて可愛くない。
多分そう思っていた。
「可愛い」の枠に入れる人は一部で、わたしはその枠に当てはまらない。
そう思っていた。
今頃になって思う。
そんな枠はなかったし、そんな枠を決める必要もなかった。
結局、自分がどう思うかだけの話だ。
美容院に行くと、ずっと鏡の前にいるので、長い時間、自分の顔を見続けることになる。
今通っている美容師さんは、なかなかいい感じにいつも仕上げてくれるので、あまり鏡を見ることに抵抗がなくなったような気がする。
今日も、カットをする間ずっと自分の顔(と言ってもマスクをしているので基本的に目)を見てたんだけど。
昔、ある人に「目がきれいなアーモンド型」と言われたことがあって、え?そうなの?と思ったんだけど、今日まじまじと自分の顔を見ていたら確かにアーモンド型だった。
そして、最近前髪を作ったときには、また別の人に「お人形さんみたい」と言われたんだけど、前髪を整えると確かにそんな感じがあって。
もしかして、自分、可愛んじゃ?と思えてきた。
そんなことをこの歳になって思うとは。
人生、何が起きるかわからないもんだ。
何年か前に、柔ちゃんは自分のことを可愛いと信じて疑わない、という話を聞いた。
自己肯定感がハンパないと。
だから実際モテるんだと。
どうやったらそんな風に育つんだろうとか思った。
そして、自分はそこまで思えないな、と思った、そのときは。
だけど。
それももう、過去の遺物なのかもしれない。
可愛いを決める基準は、自分でいい。
自分が可愛いと思ったら、可愛いのだ。
自分のことをまず自分が肯定しないでどうする。
他に一体誰が肯定してくれると言うのだ。
そんな、いるかどうかもわからない人の基準を当てにするより、自分に一番近い存在である「自分」が、まずは肯定するしかないんじゃないのか。
どうしてこうもわたしは「誰かに認められる」ということを拠り所にしてしまうんだろう。
よく言われるように、親(わたしの場合は母親)に否定的な言葉を言われ続けたことが影響しているのかもしれない。
否定ばかりされていると、「どうやったら認めてもらえるのか」を追求し、それを基準にしてしまう。
でもそれももう、過去の遺物だ。
そんな自分は捨ててしまえばいい。
自分は可愛いんだ、と思って自己肯定感を上げてみる。
いや、多分、実際可愛いんだ。
可愛さというものは全ての生き物の中にある。
ポイントは、それを「見つける」ことができるかどうかなのだ。
だから、わたしはわたしの中に「可愛い」を見つければいい。
写真は、今日咲いたミニバラ。
何だか不思議な個体。
真ん中は何なんだろう・・・