昨日、というか深夜に「あなたがしてくれなくても」を見たら、最後が辛すぎて眠れなくなった。
少し前に「男女の友情はあり得るか」について書いたものの消した(下書きに戻した)のも、いろいろ微妙だな、と思ったからなんだけど。
結局、物事は見方によって変わってしまう。
不倫といわれるものも、当事者からしたら純愛かもしれないし、もしかしたら相手がいることを知らなかったかもしれない。
最初はそんなつもりじゃなくても、何回も会ったり話したりしているうちに、だんだん気持ちが傾いてしまうかもしれない。
その理由やきっかけは、本人だけの問題じゃなかったり。
簡単にジャッジできない。
それを、なんだかものすごい悪のように糾弾する風潮が、わたしには理解できない。
もちろん、された側はショックを受ける。
だけど、揺らぐのが人間の心だし、そういうことが自分にも全くないかというと、そんな自信はない。
「永遠を誓ったじゃないか!」と言われても、常に変化するのが世の定めだし、何かが永遠に続くなんていう保証はどこにもない。
前にも書いた気がするけど、わたしは大学生くらいのときに「わたしはこうしたい」と父に話したら、「前は◯◯と言っていたじゃないか、あれは嘘やったんか」と言われて、やりたいことが変わってしまうと嘘つきになるんだ、と小さくショックを受けてから、何かが変わってしまうことで起こる理不尽について、ちょっとした諦めのような感覚がある。
永遠なんて、ないかもしれない。
それを承知であるから、わたしは誰かに永遠を誓うということに慎重だ。
そして、人は永遠を信じているから誓うんじゃなくて、永遠というものに憧れるから誓うんじゃないかと思えてくる。
永遠などない、とは思わない。
だけど、そんな簡単なものではないと思う。
なんだっけ、聖書だかにある、「今までに一度も罪を犯したことがない人だけ、この者に石を投げよ」みたいな話で。
心が一度も揺れたことのない人だけ、糾弾できるんじゃないの?
なんでこんなにも「不倫」がクローズアップされるんだろうと思う。
もちろん、いろんな側面を描くことで伝わる現実もあるんだけど。
なんか、「不倫は最低だ」みたいな正義感ドロドロな雰囲気を出されるのが苦手だ。
ドラマそのものというより、そういう空気感が漂っていることが。
人間だもの、揺れ動くこともある。
わたしが思うのは、揺れ動いたあとの行動が大事だということ。
修復できないほどの傷になるのか、雨降って…みたいなことになるのか、それはご縁というか、やってみなければわからない、本当に不安定で不確実なものなんだと思う。
そういう心を失わずに向き合うしかないし、たとえそうやって向き合ったとしても、相手がいる場合には自分が思うように上手くいくとは限らない。
ドラマの話に戻ると、みちの気持ちのやり場がなさすぎて辛かった。
みちには何の救いもなくて、辛かった。
しかも、次回予告では、相手の妻に責められる予定だ。
夫婦の問題を修復しようとがんばりつつも心が折れ、少し揺れてしまったがために。
永遠の話に戻ると。
人はいつか死ぬ。
それは避けられない。
だから、生きている間に、できることをするしかない。
だけど、永遠が存在しないということではないし、「一生傍にいるよ」という言葉も、嘘ではないと思う。
その言葉を守れるように苦心する気持ちが続けば、それが永遠になる。
その言葉が嘘になるかどうかは、そのときにはわからない。
永遠というのは、奇蹟の結果なんだと思う。
永遠なのか
本当か
時の流れは続くのか
いつまでたっても変わらない
そんなものあるだろうか
ブルーハーツ、情熱の薔薇。
不滅の名作。