存在は気付くところにある

何かの存在は、「気付く」ことなくしてあり得ない。
気付かれなければ、存在価値を見出されない。


私はずっと、「自分は優しくない」と思っていた。
自分に対しても人に対しても、目が厳しい。
いろんなことにすぐ反応して怒ったりキレたりするし、反対意見もはっきり言うし。
だから昔から、言われる言葉といえば「強い」「怖い」「キツい」といったものばかりだった。


そんな私に「優しい雰囲気がある」と言ってくれたのは、大学生の時に知り合ったY子ちゃんが初めてだった。
もしかしたら、それまでの友達は敢えて言う機会がなかったのかもしれないし、実は言ってもらっていたのかもしれないんだけど。
Y子ちゃんに言われた時に軽く衝撃を受けたので、私にとっては初めて「心に届いた」言葉だった。


彼女に言われて初めて、自分にも優しさがあるということに気付いた。
その存在は、そうやって言ってもらえて初めて、明らかになる。


実は今でも「優しい」と言われて違和感がある時がある。
優しさの定義は難しい。
「優しい」は「甘い」とは違う。
私の中では、優しさとは、何でも受け入れるだけではなく、時には相手を本気で怒ったり、黙って見守ったりすることを含めたものであるから、場合によってはわかりにくかったり伝わりにくかったりすると思う。


ん?
これって愛情に近いんだろうか?


結局、優しさって愛情なんですかね?


ちなみに私、基本的に「優しさは安売りするもんじゃない」と思っている節があるんだけど、それってどうなんだろう?
必要な時に出せばいい、という感じ。
ある意味、強さや賢さとも重なる。
本当に強い人は、強さを振りかざさない。
本当に賢い人は、賢さをひけらかさない。
本当に優しい人は、優しさを押し付けない。


うむ。
「優しさ」はまだまだ、私の課題です。
自然に優しくできる人になりたいです。