コワイを認める

昔からよく「コワイ」と言われた。
「コワイ」はわたしの中で「優しい」の対極にあった。
「コワイ」と言われるたびに、自分は冷たい人間で、優しさに欠けた人格だと言われている気がしていた。
だから「コワイ」と言われるのが嫌だった。
それは否定的な言葉だった。


だけど最近、ふと認めてしまった。
わたしは厳しくて「コワイ」人間だ。


その怖さは、やみくもに誰かを攻撃するものではない。
ちゃんと理由も理屈も持った怖さだ。
わたしの信念に逆らう何かを感知した時だけ、顔を出してくる怖さだ。
何もないのにキレて攻撃したりなんかしない。


だから、わたしを害さない人たちは、わたしといて「コワイ」思いをしたことはないはずだ。


わたしを「コワイ」と思う人は、そう思う必要があるからそう思っているんだろう。
だからわたしは「コワイ」人でも構わない。


多分、「コワイ」は「優しい」の対極ではない。
「コワイ」も「優しい」も、出処は同じかもしれない。