アメとムチ

rock_azure2017-05-13

私が誰かを褒めると「先生に褒められると嬉しい」と言われることがあります。
それは普段、私があまり褒めてないからではないかと思っています。
何事に対しても基本姿勢が厳し目なので、「私が褒める=特別感」があるのではないかと。


飴と鞭の原理。
でも私は、使いこなしている訳ではありません。
どちらかと言うと、常に鞭を持っているような気がして不安で、「大丈夫かなぁ」と思っています。


自分自身が褒めて育てられてないので、理屈では「褒めたほうがいい」とわかっていても、上手く褒めることができません。


だけど。


なぜか、そんな私に生徒はついてきてくれる。
厳しくしているはずなのに、時々キツイことを言っているはずなのに、離れていかない。
それって何なんだろう?


私にとっての「アメ」は、「褒める」ことよりも「認める」ことのような気がする。
私自身、もちろん褒めてほしかったこともあるけど、何より認めてほしかった。
私という人格を、考えていることを、やっていることを。


だから私は、一人ひとりを理解し、必要なことを考え、問いを投げかけ、決断を促し、その成果が出る喜びを与えることに、ポイントを置いている。


ちゃんと自分を見てくれている。
その感覚があるから、厳しくされてもついていけるんじゃないだろうか。


本当に必要なことを言ってくれる人がいるということが重要だと、例え子供であっても、ティーネイジャーであっても、どこかで理解しているのではないだろうか。


本当のところはわからない。
一人ひとり違うかもしれない。
でも、担当する生徒と向き合って授業をしながら、いつもそれを考える。


私が彼らにできること。
それは、彼らを理解し、認めて、応援すること。


英語はただの手段です。
ただ私が得意とする媒体に過ぎないのです。
英語を通して、私のメッセージを受け取ってほしいだけなのです。