最善策を講じる

なんでもそうだけど、達成したい目的があれば、それに向かって最善策を講じるのは、普通のことじゃないんだろうか?


そもそも、目的意識がないと、最善策を講じるという発想がないのかもしれない。
言われたことを、目的も考えずに、ただこなす。
両者の要望が合わなかったとしても、「こういう結果になってしまいました、すみません」で終わらせてしまう。
何がポイントなのか理解していないし、優先順位もつけられていない。
最善の結果に至らなくても、謝って、終わり。
どう動けばよかったのか、反省もなし。
何も学ばないから、また同じことを繰り返す。


この1週間、モヤモヤと無駄に過ごした気がする。
途中から自分が入って修正しても良かったんだけど、見守ってしまった。
なんとか収めるかもしれない、と思って。
出てきた結果は、わたしにとって、なんのプラスにもならないものになった。


こういうとき。
能力と意識の差を感じてしまう。
「個人の力量」という面では、その人は「足りてない」のだ。
仮にもマネジメントの立場にいるのに。最善策を講じることができないとは。


特徴的なこととして、彼女は伺いを立てない。
「どの形が一番いいですか、それが無理な場合、どこまで譲歩できますか」といったことを聞いてこない。
ただ、相手の要望を右から左に流しているだけなのだ。
積極的な「調整」など、ないに等しい。
だから、最善の結果は出てこない。


正直、わたしにとっては「最悪の結果」だった。
だから、それは却下することにした。
そんなもので納得できませんよ、あなたのやり方では交渉決裂です、と。


なんのための「調整」なのか。
大事なことは、なんなのか。


それは、「両者が納得できる結果を生み出す」ことだ。
どちらかに犠牲を強いても、解決したことにはならない。
それではWIN-LOSEなのだ。
WIN-WINではない。


ある意味、思った通りの最悪の結果になった。
なんとなく、最善の結果が出てこないことは、わかっていた。
なのに手を出さなかった。


なぜだろう?
今回の教訓は何だろう?


多分、今回のことでわかったのは、自分の目的意識を「明け渡さない」ということだ。
自分が守るべき枠の中に踏み込まれたら、軽く扱われたら、「NO」を表明するということだ。
最悪の結果には、「NO」を示すということだ。