「共闘」の先へ

今回の選挙で新しく起きたことといえば、共産党が野党の競合を避けるために立候補を見送った、ということだろう。それは、このままでは、あまりに与党が優勢になってしまうという「危機感」から起きた行動だ。
まぁそれも、民進党があまりにお粗末な求心力しか持ってなくてバラバラと空中分解を起こしたからなんだけど。
少し前からずっと迷走していましたけどね。
それはさておき、共産党の今回の決断は「政治のあるべき姿」を考えるきっかけになったと思う。
今朝何かの記事に「共産党はもう『反自民』という論争だけではいけないと思う」という内容のものがあった。


そこから考えていて、「そもそも論」が出てきた。


なぜ、政党同士で「争う」必要があるのか。
なぜ、「足の引っ張り合い」をする必要があるのか。


そういえば前から、国会の子供じみたやり取りが嫌いだった。
ヤジ投げるとか、強行採決とか。
「大人の解決」ができない人たち。
話し合いでより良い方向を探って、ある程度お互い納得して進んでいくということが国会でできないということは、「日本人の問題解決レベルはその程度」と言っているようで、本当に恥ずかしい。


まぁでも、世界レベルで起こっていることなので、日本が特別ではない。
ほらだって、アメリカなんてトランプだよ。(笑)
そして今までにも、自分の都合のいいように戦争をしかけた指導者はたくさんいる。


だけど。
だからって、日本がこのまま子供じみた政治をしていていいというわけではない。
「共闘」のその先へ。


これからは「協力」や「共存」を目指した政治が必要だ。
だってみんな、そもそも「日本を良くする」という目的のために集まっているんでしょ?
だったら、「争ってる」場合じゃないはず。
そしてもうグローバルが当たり前になっている時代に、「日本だけの利益を考える」ことが正解ではない。
もう「WIN-WIN」が基本の世界なのだ。
「闘う」という概念自体がもう、古いのだ。


危機感から自ら「引く」という選択をした志位さんの決断。
その姿勢は、見ていた人に印象的に映ったと思う。
本来の目的に忠実であること。
この一歩は可能性を秘めていると、わたしは思う。