ドラマなんかを見ていると、自分の野望のために誰かを陥れたり裏工作をしたり、同じように悪意を持っている人と結託したり・・・という場面を見る。
会社内の闘争から恋愛まで、様々な場面で。
そんな様子を見ながら、「バカじゃないの」と思ってしまう。
世の中にそういうことが横行しているから描いているのかもしれないけど、いい加減、そんな意味のない、ただ醜くてみっともないことをするのはやめたら?と思う。
敢えてそういう設定にして、その愚かさを見せているのかもしれないけど。
その点、「おっさんずラブ」は、そういうことをする人が誰一人いなかった。
普通に嫉妬したり葛藤したりということはあったけど、だから相手を傷つけるとか、裏で手を回すとか、なかったし、むしろ応援する人が多かった。
そこが素晴らしいと思った。
「すごい」と思う人に出会ったとき。
ライバルに負けそうだと思ったとき。
自分もそのレベルに追い付こう、肩を並べよう、超えていこう、と思うのか、それとも陥れてやろう、足を引っ張ってやろう、叩き潰してやろう、と思うのか。
後者は、相手のレベルを下げることに成功したとしても、自分のレベルが上がったことにはならない。
だからちっとも勝負に勝ったことにはならない。
その本質を、知らないのだろうか。
理解できないのだろうか。
昔から、何をそんなバカなことをやっているのだろうと思っていた。
自分の地位が上がったつもりになっているのかもしれないけど、人間として墜落しているということに気づかないのだろうか、それとも墜落してもいいから目の前のことが望み通りにいけばそれでいいと思っているのだろうか、と。
相手を叩いたり蹴落としたりするのではなく、自分のレベルを上げて超えていこうとすること。
それができるのは、やっぱり「強さ」なんだろうと、改めて思う。
悪に手を染めることなく、辛くて大変でも自分を改革していくことを選び、向かっていく人は、強い人なのかもしれない。
中学で不良グループに呼び出されてイチャモンを付けられたとき、集団でなければ一人に向かっていけないなんて、この人たちは弱いんだな、と思った。
他で抱えていた母親との問題の方が大きくて、正直どうでもいいというのもあったけれど。
相手にしないでいたら、言われることもなくなった。
多分そういうことなんだと思う。
弱みを見せると、そこにつけ込んでくる。
マイナスはマイナスに引っ張られる。
自分が上がればいい、自分が強くなればいいと思っていたわたしは、強い人に見えていたと思う。
でもその渦中のわたしは、自分の中にある弱さと必死で戦いながら、僅かにに持っている強さを信じて、何度も何度も挫けそうになりながら、「強さ」に向かっていた。
その姿が、その生き方が、強く見えたんだと思う。
その手に光を握って、歩いていくこと。
その光は自分を守るエネルギーであり、パワーだと思う。