日本社会とハロウィン

渋谷の騒動もそれに関する報道も、どこか神経に障る。
そもそも、子供達が仮装してお菓子をもらうという行事のはずが、若者がコスプレして集まって騒ぐという、いかにも日本らしい変化を遂げた成れの果てなんだけど。
クリスマスもバレンタインも独自の進化を遂げ、ついにはハロウィンも、ただのお祭り騒ぎになった。
何かに盛り上がること自体は否定しないけど、非日常をそんなに演出しなければいけないほど日頃の鬱憤でも溜まっているのか、とか、思ってしまう。
みんなそんなにゾンビになりたいの?


集団も人混みも苦手だから、そんな場所に行きたいとも思わなければ、参加したいとも思わない。
英会話勤務時代に子供を中心とした真っ当なハロウィンを経験しているから、まがい物のようなことに興味ないし。
単純に、集団心理って怖いな、という気持ちの方が強い。


赤信号みんなで渡れば怖くない、的な。


だけど、見かけた記事の中でいちばん神経を逆撫でされたのは、「痴漢されたのは7:3で女が悪い」というもの。


またか。
被害者が悪いという、主張。
しかも、若い女性が言ったとな。
そんな格好をして行ったのが悪いと。


自己防衛をすることと、被害に遭うこと。
関連はしているけど、同じレベルの話ではない。
それを履き違えるな、と言いたい。
セクシーな格好をしていたら痴漢してもいい、なんていう道理はない。
どんな格好をしていたって、他人が触っていいなんてことはない。
パンツが見えるくらい制服のスカートを短くした生徒を見かけると、馬鹿か、とは思うけど、だから触られてもいい、というわけではない。
電車の痴漢などは、そういう格好をした生徒ではなく、大人しそうな生徒が狙われると聞いたことがあるけど、痴漢をする人間は、相手の格好で選んでやっているわけではない。
痴漢する人間は、どんな格好でも関係なくするのだ。


それなのに、なぜ被害にあった女性が悪いという話になるのか。


自分の発言に慎重になれないほど、若いのかもしれない。
それをメディアが取り上げ、風潮を煽っているのかもしれない。
でも、同じ現象は、東京医大の女子減点問題のときにもあった。
「そんなの当然だ」と言った女性がいた。


よく「差別」と「平等」問題のときに、男女はそもそも違うのだから同じにはならない、という主張を聞く。
それは、わたしに言わせると論点が違う。


わたしは、同じにしてほしいというより、ちゃんと認めてほしい、と、ずっと思っていた。
女性だからという理由だけで、下の位置に追いやられる、それを打開するには倍以上努力しなければ上がれない、認められない。
そもそも、女性が上に上がろうとすること自体、小賢しい。
そんな風潮が、おかしいと思っていた。


それは女性差別というより、女性蔑視だ。


同等に扱われない、ということ。
同じ基準が認められていない。


わたしはいつからか、男性よりもがんばって認められるようになる、という考え方を捨ててしまったように思う。
そもそもそんな基準おかしいじゃないか、と離脱してしまった。
そしてそれが今になって、女性であるという理由だけで減点されて落とされていた、という事実が発覚し、同じ轍を踏まされているような気分になった。


女性なんだから、そういう扱いをしてもいい。
女性はよっぽど優秀であってはじめて、男性と同じ位置に立てる。
同等には扱われない。


そんな社会は不幸でしかない。
女性が不幸な社会は、男性も不幸なのだと早く気付くべきだ。
女性が不幸だから少子化が進むのに、社会はさらに女性を追い詰めようとする。
女性が幸せなら、産むでしょ。


ある意味、渋谷のハロウィンは日本の縮図なのかもしれない。
正体不明の集団が我が物顔で蔓延り、真面目な人たちが息をひそめて我慢している。
でもその真面目な人たちも、もう限界だ。
これ以上、黙って見ているわけにはいかなくなってきた。
そう思っている人は、意外に多いかもしれない。