物事が問題なくスムーズに進んだように見えていても、実は女性側が我慢したり配慮したりしていてそれが成り立っていたということに気づいていない男性は意外と多い。
「気遣い」という言葉でたやすく表現されているものが、実は社会的に押し付けられた役割に基づいているかもしれないなんていう考えに及ぶ人は、どれくらいいるのだろう。
「今日は楽しかった」と言われても、心の中では「わたしはもうクタクタです」と思う。
でもそんなことは言わない。
相手を不快にするのは明白だから。
そしてそれを口にしなければ気づかない人が、言ったところで理解できるのかどうか、不確かだから。
荒波を立てることよりも、我慢を選ぶ。
そうやって消化されなかった気持ちは、涙となって時々溢れてくる。
結界を越えて、流れ出てくる。
そしてわたしは、その気持ちを弔い、慰め、寄り添い、水に流して前を向く。
わたしのちょっとした表情の変化を見逃さない人がいた。
ハッと気づいて、手を差し伸べてくれる人がいた。
わたしはあの人に会いたい。