真実を見抜く力を養うには、まず疑って精査する必要がある

しばらく意識の外にあったからといって、それが消滅したわけではない、ということって、結構あると思う。

それは熟成期間だったりするんだけど。

 

そもそも、人の持つ感性っていうのは、揺れることはあっても、そんなに劇的に変わることはないと思う。

 

もう10年以上前、いや、15年くらいになるか、何かで「憧れの人は?」みたいな質問項目があって、それに「美輪明宏」と答えたことがあるんだけど、当時はスピリチュアルがまだ一部の特別な人のものであったけど、本気でいつか美輪明宏みたいな人になりたいと思っていた。

 

物事の真髄を見てズバッと言うけれど、根底には愛がある。

性別を超えた魅力。

 

タイプは少し違うけど、オードリー・タンにも同じものを感じる。

何かを超えた、妙な安心感。

 

テレビを見なくなったことも影響しているのか、美輪明宏さん自体も露出が少なくなっているのか、いつからかあまり見なくなっていたんだけど、今日、例によってYouTubeで流れて来たので動画をチェックしてみたら、やっぱりよかった。

 

そうそう、そうなんだよねー、という感じ。

なんとなく感じていたことをバシッと言ってくれるので、スッキリする。

やっぱりその感覚は変わらないんだなー、と思った。

 

 

あと、上野千鶴子さんも。

彼女も時々過激なことを言うので、ふと立ち位置を確認したくなるんだけど、これまたTwitterに流れていた朝日新聞の「悩みのるつぼ」というコーナーで上野千鶴子さんが回答しているのがあって。

有料コンテンツだから途中までしか読めてないんだけど、冒頭の部分を読んだ時点でもう涙もので。

知り合いで朝日新聞をとっている人がいたから、切り抜きをお願いしちゃった。

 

時々厳しい言葉を言うけれど、根底には愛がある。

それがつまり、「反日」でもなければ「愛国」でもなく、「憂国」なんだと思う。

根底に守りたいものがあるからこそ、現状にある問題点を直視し、憂い、変化を起こそうとする。

 

責めるつもりはないけど、いわゆる「保守」の「守りたいもの」ってなんなんだろうと思う。

それが単純に「今あるものを変えたくない」というだけのものなのでは?と思うたびに、「何かを守るとはどういうことなんだろう」と思う。

 

相手を想うからこそ厳しいことを言う、それこそが相手を「守る」ことであり、相手に「守る術」を伝えることであり、本来の愛情であると思うんだけど。

変わることは時に辛いことではあるけれど、それを経験しなければ先に進めないこともあるから、今は大変でもがんばってほしい、そう願いながら、変化を促しているのに。

 

なので時々、「保守」が「保身」に見える。

ていうか、本当の保守って、保守に見えないんじゃ?

単純に「守りたいものを守ってる」としか、見えないんじゃ?

 

 

別の動画で養老孟司さんが、言葉はいくらでも嘘がつけるけど見ていればわかる、という感じのことを言っていた。

そう、見ればわかるよね。

 

でもそういう人が思ったより多くないのはなんでかね?みたいなことを言っていた。

彼と同じ世代の人は「教科書を墨で塗る」という経験をしたはずなのに、と。

全ては嘘だったんだという、衝撃の体験をしたはずなのに、と。

 

 

情報を鵜呑みにせず、疑ってみる、自分で精査してみる、ということが大事。

そういうことが自然にできる人の母数を増やすには、どうしたらいいんだろう??