東京五輪とはいったい何だったのか

まだ終わってないけど。

こんなに微妙な祭典が今まであっただろうか。

 

会場周辺に集まった人たちは蜜の状態だし、開会式の花火の映像に反対デモの声が入り込んでいるし。

「お家で応援を」とか言っていたけど徹底されるわけでもなく、選手や関係者の陽性者も出るし、今後も増えはしても減りはしないだろうし。

来られなかった人、辞退した人、当日棄権しなければならない人、そして多くの「不安な人たち」を生み出している中での開催。

 

開会式の関係者は不祥事だらけだし、挙句、ショボいものになったし・・・

っていうか、本当に恥ずかしい。

何が「イマジン」だよ。

 

まともな人が誰も受けない五輪。

教授(坂本龍一)だって受けないし、ジブリだって受けない。

そりゃそうだよね。

世界観や理念、信念を持っているアーティストは、迎合したりしないんだから。

その結果、「サブカル」を「商業的な視点」で消費するような業界人が、内輪ウケのネタを世界の舞台に持ってきちゃった。

入場のゲーム音楽にも、一部の会社の作品が入っていなかったり。

しかも思想が偏ったような人の作品を排除しきれてないという・・・

どうがんばっても「完成」できない作品を、なんとか形だけ繕って提出したような。

 

 

いや、そうですよね。

だって、主催者側に使命も理念もないんだから。

表現したいものも、守るべきものも、なにもない。

「商業的イベント」に無理やり理念をねじ込んで、表面的に取り繕っているだけなんだから。

その本質を見抜いている人たちが、関わろうとするわけがない。

「復興五輪」がいつの間にか「コロナに打ち勝った証」(この言葉、書くのも嫌だわ)となり、最終的には、何が何でもやる、自称「安心・安全」の五輪になった。

ま、全部真っ赤な嘘ですけどね。

もう言葉なんて何でもよくて、それらしいことを言って誤魔化しているだけの、無責任な放言なんだから。

 

言葉に謝れ。

被災地に謝れ。

医療関係者はじめ、感染対策に苦慮している人々に謝れ。

希望や感動を与える駒として利用しているアスリート達にも謝れ。

 

そもそも、「日本の金メダルの数が・・」とか言っている時点でアウトでしょ。

競技の成果にスポットライトを当てるなら、どこの国が勝ったかが問題じゃなくて、どの人がどんな素晴らしい結果を出したか、だし、もっと言うと、勝負に勝つことだけじゃなくて中身が大事なはず。

 

そういえばさっき見たTwitterに台湾の選手(柔道?)のインタビューがあったんだけど、

選手:「金メダルが取りたかった」(泣)

インタビュアー:「銀メダルでも素晴らしかったですよ」

選手:「いや、金メダルが目標だった・・」(泣)

というのがあって、こういうやり取りはアリだと思うんだけど、このニュアンス伝わるかな?

(多分、インタビュアーは台湾人)

 

インタビュアーが「金メダルを逃しましたね」なんて言ってないのもいいし、金メダルを目標としていたのはあくまで個人のことであって、どこかの国みたいに「国を背負って」という感じがない。

純粋なんだなぁ、というか。

 

そういうことを考えると、やっぱりアスリートにとっては特別なものなんだろうから、もっと別の形を取れないんだろうか、と思う。

何度も書いたけど、わたしは「中止」というより「こんな状態ですることには反対」という意見だったんだけど、何というか、「仕切り直し」をしてほしかった。

今までにも疑問視する声はあったから、そこをもっと修正した上で、するべきだった。

いや、そもそも、「東京五輪」は最初から必要なかった。

 

「復興五輪」なら東北ですればよかったし、そもそもまだ復興できてないし。

先日見た「Choose Life Project」の番組で被災地の人が言っていたのは、「復興五輪」というものをスローガンにされたとき、自分たちの声は封印される、と思ったということだったんだけど、本当にそうだと思う。

「復興の証」という言葉によって、まだまだ残っている課題に蓋をされる。

 

獲得するための嘘方便として「復興」を使って、東京に招致する。

この、めっちゃくちゃ暑い夏の、東京に。

 

ま、結局海外からの観客も、最終的には国内の観客もなくなり、何の経済効果もないんですけどね。

何のために招致したの?っていう。

 

わざわざ来た選手や関係者さえ、観光することが許されない。

せめて美味しい日本食ぐらいは食べられているんだろうか。

 

あれかな?大会に関わる一部の企業が利益を得るという、それだけのために強行したのかな?

中止なんかになったら、仕事がなくなるもんね。

 

 

同じく「Choose Life Project」の番組で中止を訴えるものがあったんだけど、その中で内田樹さんが言っていたことに、すごく納得した。

前回の東京五輪のときに東京にいた内田さんは、自分が大事に思っていた雑木林や田舎の情緒ある風景が五輪建設のために次々と破壊されていくのを見て、そこから五輪反対になったんだそう。

また、今回の招致を決める際、某元都知事がイスタンブールに対して問題発言をしたので、東京五輪はないだろう、と思っていたら東京に決まった、五輪の理念なんていうのはその程度のものなのだと思った、とも言っていた。

ただの商業イベントにすぎない、と。

これ、別の人からも「お金で買った」と言われていますからね。

 

つまり内田さんは今回の五輪がコロナ禍であるからということだけでなく、ずっと一貫して反対してきたわけで、その理念は一度もブレてない。

組織の姿勢の根本的なところを疑問視していた、始めからずっと。

 

 

結局、今回の東京五輪は、そういった根本的な問題を露呈させたということなんだろう。

放送権のために真夏を避けられないということも含め、アメリカやIOCの都合を押し付けられ、関わる一部の企業に利益がもたらされる、それが分かった上で、その仕組みを利用すべく招致した。

パンデミックだろうが、国民が消極的または否定的だろうが、「なにがなんでもやる」。

(ていうか、某元首相に言わせると五輪反対は「反日」らしいからね・・)

招致したらもう止められない、五輪という名の暴走列車。

 

 

ポリタスTVで、開会式を見ながら副音声をお届けという番組を見たんだけど、その中で、今回の開催でいろいろと問題点が明るみになったことで、今後は「IOCが悪でアスリートが善」という構図ができるのではないか、と言っていた。

全てはIOCが悪い、アスリートは犠牲者だ、という構図の中で、IOCの責任が追及されていくんじゃないかという予測だったんだけど、その可能性はあるし、むしろそうなってしかるべきなんじゃないかな。

 

東京五輪は「可視化装置」だったのかな、と思う。

今まで見えないようにうまく隠されてきたものが、明るみに出てしまう装置。

差別意識が蔓延り、長いものに巻かれて忖度する風潮、出る杭も声を上げる少数派も叩き、個性や多様性を認めず同調を強要し、年功序列のシステムからも抜け出せず、女性や若者を尊重する国会運営も進まず、過去の栄光にしがみついたまま成長できない日本社会が、すでに先進国の枠からこぼれ落ちていた、という現状。

日本に来て「ジャパニーズ」を「チャイニーズ」と間違え、緊急事態宣言の意味もわからないから自粛を求められているジャパニーズを尻目に被災地ではなくなぜか広島を訪問し、ただでさえ長い開会式でやたら「連帯」を繰り返して冗長な演説をして予定時間をオーバーし、(「校長先生の話なら誰かが倒れてる」と突っ込まれ、「女性の話は長いを否定するために全力を尽くす」と皮肉られ、)無邪気に特別待遇を楽しんでいる男爵の様子。

そういうものが世界的に報道されることで、少しは実体が明るみになったのかもしれない。

そしてそれによって、今後は問題視されるきっかけになるのかもしれない。

 

 

いい加減、認めないといけないと思う。

日本には「一流」と呼ばれるものがあるけれど、それは決して「主流」には存在せず、表舞台にいるのは虚像で、忖度もせず長いものに巻かれもせず自らの理念を貫いている一部の日本人が「一流」を追求しているに過ぎない、ということ。

「効率的な利益」だけを手に入れようとした結果、文化も教養も、そして大事な言葉さえも、その価値を軽視し、国家としての品位を失ったということ。

 

文化人と呼ばれる人が語る言葉は、本当に素晴らしい。

同じように、真の芸術家の表現する作品も、そういう言葉のような奥深さを持っている。

そして大事なのは、それを受け取れる感性だと思う。

そういう心の豊かさのほうにシフトしていかなければならない。

 

 

参加している個々の選手を否定することはない。

でもだからこそ、きちんと問題を洗い出し、浄化して、素直にその頑張りに拍手を送れるよう、変えていく必要がある。

そのためにこの「歴史的大混乱の東京五輪」があったのだろう。

 

これをうやむやにせず、もう一回、敗戦からやり直すべきだと思う。

表面的にじゃなく、心からの内省が必要だと思う。

 

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