「反知性」なんて言葉が聞かれるようになったのは、いつからなんだろう?
知的であることに価値を見出せられなくなったのは、なぜなんだろう?
知的であることよりも、大衆的だったり実務的であること、成果が上げられるかどうか、数字が取れるかどうか、お金を生み出すかどうか、そういったことが重視されるようになった。
人間が知性を失ってどうする?
その行き着く先は、退化と破滅なんじゃないのか?
知性とは何なのか。
知的であるとはどういうことか。
わたしはずっと、知性と感性は関連していると思っている。
いわゆる「知識を持つ」ことと「知的であること」は、イコールではない。
知識に感性が加わってこそ、知的に振る舞える。
どんなに知識があっても、それを感覚や直感と結びつける能力がなければ、知性を発揮できない。
どんなシステムも、時代と共に変化が求められる。
ある時期に重宝されたものも、時代の変遷と共に存在価値が薄れ、やがて役割を終える時が来る。
それを理解し、許容し、調整し続けるためには、「知性」が必要だ。
いつまでも古いものに拘り、変化を恐れ、現状を維持するために真理を捻じ曲げることこそ、「反知性」の成せる技だ。
今の日本には「反知性」が蔓延っている。
今までいろんなネーミングをしてきたけど、ここにきて「ELLENIQUE」という名前が一番自分らしく表現できていると実感している。
わたしの作品を「個性的だけど、どこか上品だ」と表現してくれた友人の言葉をヒントに考えた造語で、ElegantとUniqueを合わせたわけだけど、それこそ今のところ検索でも他に候補が上がってこないくらい、唯一無二の名前になっている。
そして最近、「Elegant」の意味を考えていて、それは「知的」ということなんじゃないか、と思い至った。
上品であるためには、知性が必要だ。
上品とは「足る」を知ることであり、飾り過ぎず、シンプルで、的確であることだ。
それはたくさんのものをの中から、余計なものを削ぎ落とし、本質を残したものだ。
ひけらかさず、自然でありつつも、気品を纏ったものだ。
「気品」という言葉。
そこにあるのは多分、「志」だ。
自分の軸を持っているからこそ、ブレない美しさがある。
わたしの目指すELLENIQUEは、上品でありながらユニークな世界だ。
ユニークには、ユーモアや愛嬌が含まれる。
単なる「個性」というよりかは「キャラクター」に近い。
「いいキャラしてるね」と言われるような、親しみを持てる「その人らしさ」だ。
それをブランドと呼びたい。
そんなブランドを築いていきたい。