今日のTwitterで流れているものを見ていると、やっと知性が息を吹き返したような感じがある。
「やっとこれで息ができる」「人間性が大事なんだと言うことができる」
そんなスピーチも見かけた。
ニューヨークでイマジンを合唱している様子だとか、クラクションを鳴らして喜んでいる様子だとか、そういうものを見ていたら、彼らが取り戻したものが何なのかが伝わってきた。
知性が虐げられていた時代。
知性や教養や人間性が嘲笑の的になっていた時代。
知的な物言いを下品な言葉でバカにすることがまかり通っていた時代。
その中でも、彼らは諦めずにいた。
知性は簡単に投げ出せるものじゃない。
深い思考や洞察力は、一度身についてしまえば簡単に手放せない。
ここしばらく、陰謀論のようなものがあちこちで言われていた。
その中に、民主党はオバマさんの時代に児童虐待(売買?)をしていた、というものがあった。
それをトランプは変えたんだ、だから救世主なんだ、というもの。
これはわたしの少し前の人間不信状態にも関わっていて、その人は「こんな陰謀論があるよ」というスタンスではなく、その話を信じていて、オバマは悪でトランプが善だというスタンスで話していたので、そのことに大きなショックを受けた。
もしそれが本当なら、わたしは自分の人を見る目が信じられなくなって、全てが崩壊してしまうと思った。
あんなに知的で紳士的なオバマさんが悪で、あんなに下品なトランプが善なの?
アメリカ大統領として広島に来て献花とメッセージをくれた、あのオバマさんが悪なの?
その内容がショックだっただけでなく、それを身近な人がなんの疑いもなく信じて話していることもショックで、いろいろ崩壊した。
もう何を信じていいのかわからなかった。
自分に立ち返って、ちゃんと自分の感覚を大事にしよう、そう思ってからは、大統領選を静観していた。
結果はどうなるんだろう、本当にその人たちが言うようにトランプが再選して「善」を進めていくのだろうか、と思いながら。
そして今。
知的で前向きなメッセージが飛び交っている。
ああ、そうだった。
これがわたしが知っている世界だった。
偽善的だと言われても、人間としてあるべき姿を追求し、相手を思いやりながら発言し、お互いを認め合う世界を創ろうとする。
なんだか夢から醒めた気分だ。