ふと、妥協して生きることも必要なんだろうかと思うんだ

何もかもが停滞しているように感じるとき、物事が上手く進まないとき、もう妥協して生きていったほうがいいんだろうか、と思う。

わたしが「それは違う」と頑なに譲らないで今まで手から離さなかったものは、本当は大事じゃなくて、それよりも妥協して得られるもののほうが大きかったんじゃないの?という声が、ふと頭をよぎる。

 

あぁ、わたし、疲れているんだな。

弱っているんだな。

 

今朝、被災地の義援金についてJ-WAVEの番組で話していた後、「Lean on me」が流れてきて、なんか涙が出たんだけど。

「頼ってもいいんだよー」という言葉に脆くなるのは、いつも一人で抱え込もうとするからなんだけど、誰かに頼るのは妥協でも不本意でもないはずなのに、なんだか道を外れるような気がするのは、本気で頼りたい人が側にいないからなんだよなぁ。

 

とりあえず誰かに頼るのは妥協ではないんだと、自分を説得したほうがいいのかな。

中途半端な優しさならいらない、とか思うのは、頼って裏切られるのが怖いからなんだろうか。

弱っているときこそ心が壊れているから、正しい判断ができない。

間違った人に頼って痛い目を見る、ということも、女性のほうがリスクが高い傾向にあって、だからこそものすごく予防線を張ってたりする。

何かあっても被害を訴えれば危険性を承知で行ったのが悪いだの、ハニトラなんじゃないかだの、責められることばかりで。

リスク回避するなら、もう誰も信用せずに頼らないのが正解みたいに思えてくる。

 

ここには書かないけど、セクハラ受けたことも何回かあるんだよね。

多分、言わないだけで経験ある人が多いというか大半なんじゃないかな。

乳児の遺棄問題とかも基本的に女性だけ裁かれるし、そんなことを考えたら誰とも付き合えない、と思う女性が増えてもおかしくないし、それで少子化に拍車がかかっても、自己防衛するしかないんだもんね、それって女性だけのせいですか?っていう…

 

思いの外、話がズレたけど。

 

それでも妥協して生きていくべきなんだろうかと、ふと思う。

そしてなんだか空っぽになった気分になる。