なんだかふと思い出してしまった、ジェンダー問題エピソード。
この話、当時悔しくていろんな人に言った気がするけど、わたしの憤りを理解してくれた人はほとんどいなかった記憶。
昔から、ちょっとしたところに「ん?」と反応するタイプだったけど、今みたいにHSPなんていう言葉もなく、ともすると小さいことに怒りやすい人、みたいな感じにしか見えなかったかもしれないと思う。
さらにあの頃はジェンダー規範に対する意識を持っている人も少なかったから、仕方なかったのかもしれないけど。
当時、仕事で顧客サービスとしての海外ツアーに同行することになり、ちょうど切れそうになっていたパスポートを更新する必要があった。
ちょうど10年パスポートが始まった後だったので、わたしは「次は10年にするぞ!」と意気込んでいた。
そして申請に行ったところ、受け付けた人に、
「女性は結婚して苗字が変わると再発行しないといけないから10年はやめたほうがいい」
というふうなことを言われた。
このときのモヤモヤといったらもう・・・
今でもうまく言葉にできない。
その人からしたら、「アドバイス」だったんだろうと思う。
「いいこと言った」つもりだったと思う。
だけど、そんなことを言われたわたしの頭の中は、一瞬でいろんなことがぐるぐる回り始め、困惑と不快感でいっぱいになってしまった。
そこで10年を申請していればよかった、と今なら思う。
当時はそのアドバイスに反してまで10年を申請する精神力がなく、妥協して5年にしてしまった。
そこで10年を申請したら、「わたしは結婚しません」と言ってるように思えた。
別にそんなつもりはない。
かと言って、結婚するとも思えなかった。
そんなことは、わからない。
結婚することとパスポートを申請することは、本来なら全く関係ないことのはずなのに、そんなところでわたしの意思を尊重してもらえない、こんなことがあるんだ、と小さく驚愕した。
その人が同じくらいの年代の男性であったということも、違和感の原因だった。
自分は男性でありながら、「女性は結婚して苗字が変わるからやめたほうがいい」と言う。
そこには明らかに、結婚したら女性が苗字を変えるもの、というジェンダー観がある。
そしてそれを、男性が、今で言うところの「上から目線」で言ってきている。
一言で言ったら、「余計なお世話じゃ」ということだったと思う。
だけどそういう反応ができなかったわたしは、まだまだ勇気のない人間だったんだと思う。
結婚してもしなくてもいいし、苗字を変えても変えなくてもいい。
日本はまだ決して、それが「ノーマル」な世の中ではない。
個人の意思や考え方を尊重するという、ごく基本的な「人権意識」が薄く、それよりも「規範」がものを言う社会。
それはもう、息苦しいよね、と思う。
当時は地元にいたから、ある意味、田舎の体質というのもあったかもしれない。
そして多分、今ではそんなことを言う人もほとんどいないだろうと思う。
時代は変わる。
ニューノーマルも、時代とともに変わっていくだろう。
その中に、こういうジェンダー意識の問題も、多く含まれてくると思う。