玉川上水の環境と地球

rock_azure2009-12-13

ここのところ、
節約のために動かない生活をしているのですが、
それでも運動不足はいけないので、
夕方は散歩するのが日課になっています。
昨日は開花写真の後、
いつもの玉川上水をいつもと反対の方向に下っていったのですが、
日中、バリバリと工事の音がするなぁと思っていたら、
近くに、家の取り壊しをしているところが2箇所あった。
道路工事のための、立ち退き。


そうやって、
どんどん進められていく。


そんな風景の横を歩いていくと、
橋のところ辺りから、
玉川上水を第2の小金井堤にしないでください」
というプラカードがいくつかぶら下がっていた。


買収が終わって更地になった部分が広がっていく。
それは、
残っている家々に対しての無言の圧力のように横たわる。
あきらめなさい、止められないのだから・・・と。


私はこの部分が好きだ。
この家、このレンガ、右側の木々と調和している。
いつ通っても、この家に、はっとする。
こんなにあったかい家を取り壊すなんて、
考えただけでも耐えられない気分になる。
どんな気持ちで、想いで、建てた家なんだろうと想像するだけで。


そして遊歩道は、
コンクリートアスファルトの道にぶち当たる。

ここからは、
もはや玉川上水ではない。


引き返して、土の道を歩く。

落ち葉が、人や自転車に踏まれ、
土に模様を描いている。
地面にできた、押し花。


何のために道路を?
それは「人間の便利さ」の追求のみ。
今までにも、もう充分過ぎるくらい、
土を塞ぎ、アスファルトを敷き詰め、コンクリートを流し込み、
地球の呼吸を奪ってきたのに。
まだ、これ以上?
「道路脇には街路樹を植林します」って、
いや、そういうことじゃないんです。
壊れたものは戻らないんです。


土の道には落ち葉が落ち、
微生物が分解し、栄養となり、
木々や雑草が育ち、
鳥がさえずり、実を食べ、種子を運び、
また芽を出し、
植物は酸素を供給する。


その生き物がなければ、
人間は生きていけないのに。
全ては地球から貰っているのに。
奪い続けることは自らを滅ぼすことだと気付かないのだろうか?
今まで壊してきたものを修復するのでさえ、
一代では終わらない大仕事だというのに。


あきらめないでいたい。
奇蹟が起こって、
「工事はやめました」という日が来るかもしれない。
そう願いたい。