自分が与えているもの

rock_azure2016-11-07

ここのところ、誰かからもらったメッセージや言葉で、自分が与えているものを知るということが続いた。
自分のことは、意外と自分が一番知らなかったりする。


一つは、元教え子からのメッセージ。
多分、ここにも書いたことがある子、といっても、もう成人もしているので「子」じゃないんだけど。
接していた期間は1年もなかったけど、その後に第一希望の学部に推薦がもらえた時に報告をくれたりして、私は私のことを覚えていてくれることが嬉しかった。
そしてFacebookで今も繋がりがあって、最近担当している高3男子の考えが甘くて久々に本気で説教して疲れたという投稿をしたら、コメントとメッセージをくれた。「先生の授業は楽しくて大好きだった、目標を見つけられた」という内容だった。
就職が決まって、CAになるとのこと。素晴らしい。ぴったりだと思う。


私は彼女に何を与えていたんだろう?
もちろん英語を教えることが「役目」であったけど、結局英語を勉強するのは本人だし、実際彼女も私が東京から離れている間に自分で勉強して推薦を獲得した。
それでも残る何か。
それは「指針」なのかな、と思う。
人生の指針。


高1の時点で、正直、文法がはちゃめちゃだった彼女。でも英語の感覚は持っていたし、留学も自分から積極的に行っていたし、何より前向きな気持ちが強かった。だから難関だった学部も、私は可能だと思っていた。そして彼女はやり遂げた。
私は本当に、彼女は人として素晴らしいと思う。すごいと思う。
そんな彼女の中に残る存在であるということを、私は自分の自信にしようと思う。


もう一つは、私の印象について。
土曜日に久しぶりに飲みに行き、「バケツ」と呼んでいるヒューガルデンのLサイズのビールを抱えていたら、あまりにいい顔をしているからと写真を撮られたのでFacebookのプロフィールにした。
そしたらある人から「豪快感が出ていていい」とメッセージをいただいたんだけど、それは「可憐で、豪快」というギャップがいい、ということらしく、「可憐⁈」と意外な言葉にちょっとびっくりした。
私が、可憐?
全く意識にありませんでした。
豪快なのは知ってましたけど(笑)。
「可憐でキュート」。
これも今後の自分の自信にしようと思います。


自分が与えているものは、自分ではわからない。
こうやって言葉をもらえることで、認識できる。
本当に嬉しいことです。
みんなに感謝です♡