必要とされる場所へ

前に書いたことがあった、お気に入りの生徒、M子ちゃん。
また個人授業に戻りたいという意向があり、9月から再開し、4ヶ月ほど過ぎた。


何がどうというわけではないのだけれど。
特別盛り上がるでもないのに、なんだか満足感がある、そんな授業になる。
いや、それはわたしの感想であって、M子ちゃん自体がどう感じているかは知らないんだけど。


前回の授業で。
宿題の話になり、倫理で「人間は自由か否か」ということについて書かなければいけないんだけど、難しい、と言っていたので、そこから「自由は本人の心の中にある」とか、『Life is Beautiful』の映画の話もしたら、「カントの言葉が何を言っているのかわからなかったけど、今の話でわかりました」と言ってくれた。


その、何かを得て満足したような表情を見ると、あー、よかったな、と思う。
自分がその場所にいる意義を見つけられるというか。


よく思うこと。
これ、わたしじゃなくてもいいのかな、むしろ、わたしじゃないほうがいいのかな・・・


生徒が得ているものを具現化することは難しい。
全てを数字で測るなら、テストの点しかない。
だけど、テストの点に重きを置いていない、いや、テストの点はほんの一部であって、全てではないと思っているわたしにとって、自分の存在意義は、不安定極まりない。
だけど少なくとも、M子ちゃんにとって、わたしは必要な存在であり、英語を習いたい先生であり、ちゃんと向き合いたい人である。


そのことが何より貴重で、何より意味があり、何よりありがたい。


わたしを必要としてくれる人を大切にし、必要とされる場所にいること。
大事だと思う。