終わりを告げる

遅かれ早かれだと思っていたけど。
先週泣いてしまったM子ちゃん。
あの日は授業時間を45分も超過してしまい、心配したお母様が校舎の下まで来ていた。
遅くなってしまってすみません、というわたしに挨拶しつつ、M子ちゃんに「言ったの?」的なことを訊いていて、ん?とは思ったんだけど。
春休み中に体験してみた医学部専門の予備校に通うと、今日の授業後に言われた。
あー、やっぱりあの日に本当は言うつもりだったんだな、と気づいた。


いつかは来ると思っていた。
むしろ、その方法を勧めたのはわたしだ。
だってわたしは、医学部専門じゃない。
英語を楽しく教えることには興味があっても、受験勉強や文法ガンガンの詰め込み英語には興味がない。
そんな講師に教えてもらうより、受験に受かる道を確実に示してくれる先生に教えてもらった方がいいと、わたしは思う。


餅は餅屋。
専門に特化した方が、効果的なはずだ。


その考えは、基本的にある。
だから、今行っている派遣の仕事も、わたしが得意とするものじゃないものを任せられることに抵抗がある。
わたしは進捗管理や業務整備の部分で全体を把握してあるべき姿に近づけるということをしているんだけど、同時に事務処理的な部分も依頼され、例えばデータ処理(アクセス)もしなければいけなかったりする。
データ系の操作は苦手だし興味もないから、できるだけシンプルな操作でできる内容にしてほしい。
それって、フォームを作ればできるはずなので(といってもわたしはそのフォームが作れないんだけど)、1から作る方法を教えるのではなく、手順を踏めばできるようにしてあればいいとわたしは思ってしまう。
なので、1から作る方法や仕組みを教えられたんだけど、それを理解しろと言われるのはわたしにとっては苦痛で、それならデータ系に強い人に入ってもらったほうがいいのでは?と思う。


本当は、それが答えじゃない。
データ系が得意な人が、進捗管理や業務の整備に向いているかはわからない。
だから、苦手な人に苦手なものを振るのが間違っているだけだと思う。
それをわたしに振らなければ、もう少しいられるかもしれないのに。


話が逸れてしまったけど、物事は常に変化しているので、何かが終わりを告げることは必然的に起こる。
それは冷静に受け止めるしかないんだけど、そしてそれは本人にとって最良の選択であるんだけど、やっぱり、M子ちゃんとの時間はもう少しなんだな、その終わりを告げられたんだな、と思うと、ちょっと複雑な気分になった。


わたしの役割は終わった。
決して、「もう必要ないです」と言われたわけではないのだけれど、ちょっと寂しい。
人の心は、ワガママなもんだな・・・