必要なことは全て、ブッキーが言ってくれている。
なんだか毎回、代弁してくれているように思う。
そして。
いろいろ思ったことの中で、ひとつ。
「強さ」について。
「強いよね」と誰かに言われることに、わたしも敏感だった。
その言葉を言われるたびに、誰にも理解してもらえない気がした。
「わたしは強くなんかない」
そう思っていた。
「強いよね」という言葉の裏には「だから平気だよね」「誰も必要としていないんだよね」「一人でも生きていけるよね」という、ある意味、突き放したような、境界線のような、壁のようなものが存在する。
だけど。
初めから強い人なんていない。
強いように見える人は、弱さを反動に生きている。
繊細で傷つきやすいからこそ、強くなろうと必死で耐えている。
それを「強いね」なんて言われると、いきなり真っ暗闇に一人で取り残されたような気分になる。
わたしもそうだった。
今はもう、「強いね」と言われても傷つかない。
「当たり前じゃ」と思う。
それは、敏感だからこそ弱く、弱いからこそ強さに憧れ、憧れるからこそ必死に追い求めた、そんな自分を認めているからだと思う。
Coccoの歌に「強く儚いものたち」というのがあったけど、強さと脆さは紙一重で、そのギリギリのところを歩いていて、それでも泣きながらでも歩いていれば、いつか本当に強くなっている、そういうものだと今は思う。
ギリギリの綱渡りの道のりを、必死で続けている。
そんな道の途中で出会う、仲間の言葉に救われる。
それが例えば、We are the Championsのような歌だったりする。
そしてそれが、ブッキーのような、ドラマの主人公だったりする。