自分を好きになるとか、自分の特性を生かすとか。
頭ではわかっているけど、「得意なことは?」と言われたとき、自信を持って答えられなかったりする。
誰かに手が触れるのが怖いくらい、敏感なこと。
触れたら、その人の状態や波動はもちろん、感情や思考まで、全部受け取ってしまうんじゃないか。
そう思うと簡単に触れなかった。
物心ついた時から、ずっと。
アロマトリートメントをするようになって、精油やオイルを介すれば大丈夫なことがわかった。
施術であれば怖くもないし嫌でもない。
いやむしろ、楽しい。
血行が良くなったり顔色が明るくなったりする変化を見ると、嬉しくなる。
敏感なのは手だけじゃなくて、全体的にいろんなものを受け取ってしまう。
そして強く残る。
それは長い間、わたしを苦しめてきた。
鋭すぎるものは自らも傷つけてしまう。
だからずっと武装してきた。
自分の弱さを守るために鎧をつけてきた。
でももう鎧はいらない。
強がらなくていいし、強くなんてならなくていい。
弱いままでいい。
そう思ってがんばることをやめようと決めたら、敏感なこの手が、マイナスではなかったことに気付いた。
これはギフトだ。
与えられた能力であり、パワーなんだ。
敏感なことも、微妙な違いに気づくことも、わたしに与えられたギフトなんだ。
大きなギフトには、それなりの痛みが伴う。
光が強ければ、闇も深い。
そのコントラストも大きくなる。
ものは見方や捉え方で違ってくる。
自分の持つものが「ギフト」だと思えると、全ては必然になるし、全てに感謝するようになる。
ギフトだから。
この手はギフトだ。
身体中に張り巡らされた感性のアンテナ。
受け取った波動を外に出すのが、この手と、目と、声だ。
多分、受信が強い分、発信も強いのだ。
それはギフトだ。
わたしに与えられた、パワーだ。