平等というより対等

この感覚、なぜ浸透しないんだろう?

「男女平等」とか言うと、「女性も男性のようになることがいいのか」「男性と女性は特性が違うのに同じにはできない」とかいう反論が出たり、ともすれば「女性を特別扱いするのか」「女性も恩恵を受けているくせに」みたいなことまで出てくる。

その度に、いや、そうじゃないでしょ、と思うけど、そういう思考の人に何かを説明してどうにかなるような気もしなくて、もううんざりしてくる。

「フェアじゃない」という感覚。

文字通り、「土俵に上がれない」ということがあるから、言っているのに。

問題をすり替えられちゃう。

 

いつも思う。

わたしが言っているのは「対等」なんだと。

それはある意味、当たり前のことなんだけど、自分が思う「当たり前」が当たり前じゃないのが世の中。

でもね。

これは譲れない。

全てのものは、「対等」です。

 

動物と比べて人間が偉いなんてことはないし、男女も、大人と子供も、対等です。

大人だから、歳が上だから偉いなんてことはありません。

相手を敬ったり感謝したりする気持ちは、年齢も立場も性別も関係ありません。

 

そんなシンプルなことが、そんな根本的なことが、どうしてわからないのかが理解できない、と思ってしまう。

どうしてそんなことをわざわざ「大人」に説明しなければいけないのか。

 

 

そして改めて思う。

「大人だから理解できる」というのも、偏見なのだ。

 

 

東大の上野さんの祝辞で泣きそうになったところがどこだったか。

ネット記事を読んでいて思い出した。

それは、マララさんのお父さんの言葉だった。

「娘の翼を折らないようにしてきた」

 

 

もちろん、女性でなくても、女の子でなくても、社会の中で翼を折られる瞬間はたくさんあると思う。

だけど多分、このお父さんは、自分の子供が男の子だろうが女の子だろうが、「翼を折らない」という信念を持っていたということなんじゃないかと思う。

 

 

「翼を折らない」という信念。

なんだか本当に泣けてくる。

 

その言葉が、本質を語っているように思う。